気弱なまま生き抜くためのテロリズム

 

 

 

 

 

そもそもブッダは、苦行を捨てた

 

 

 

 

 苦→救いは、非常に実感が得やすい。

 『苦の先にある、救いの光』を浴びることができる。

 救いの光を浴びた人は、成長をすることができた実感を覚える。

 

 人によっては、誰かに何かを教えようとするとき、昔自分の感じたものと、同じような実感を覚えてもらいたいと思う。

 

 いたずらに苦を積んだところで、上手くいかなければ苦の経験を消化し切れず、言動が擦り切れるばかりだ。

 その有り様を成長の証とするのは短絡的である。

 

 必要以上に他者を追い込むのは、ただの想像力の放棄でしかないのだろう。

 擦り切れてしまっているから、他者を想像する余裕すら消えている。そもそも、自分や他人を擦り切れさせる以外のコミュニケーションを知らない可能性もある。

 

 いや、他者を想像した上での行動かもしれない。

 『苦の先にある、救いの光』を浴びた経験を、他の人にも共有させてあげようとしたのかもしれない。

 他者の立場になって、他者のためを想って――――――苦を積むことを、押しつけたのかもしれない。

 

 他者を想像した上での行動が、毒になりうる。

 この世に存在する、数限りない善意の数々が、どれもこれも、毒になりうる。

 

 毒とは、何だろう。

 毒を、この世から消し去ることはできるだろうか。

 できないとして――――――せめて、、、、、、毒の濃度を下げうるものとして、考えられるものは何だろう。

 

 思想とは、毒かもしれない。

 

 思想が生まれる以前から、人間に在ったもの、それは、本能である。

 本能とは、すなわち、体である。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ぼくは、誰も傷つけたくなかった。

 素朴に、生きていきかった。

 少数でいいから好きな人たちと、好きなときに、好きなように好きなことを話し合って、笑って生きていきたかった。

 

 自分のスタンスを損なわれると、怒りを覚えて、復讐したくなる。

 では――――――ぼくのスタンスを突き通すことで、周りの異なるスタンスを損なうことになってしまった場合、どうすればいいのだろう。

 

 周りの異なるスタンスの誰かをこちらへ復讐させないように、細心を注意を払いたい。

 なるべく、不用意に、攻撃される危険を自ら招きたくない。

 しかし、我慢をせず、鬱憤を溜めずに、伸びやかに過ごすことができないだろうか。

 

 こういう良いことずくめのウルトラCを、完全に達成することはできないだろうか。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 自分の弱さに寄り添ったまま、この世のあらゆる制圧から解放されたい。

 

 ぼくは、傷つきたくないし、傷つけたくもない。

 『誰も傷つけたくない』と、強く想っている。

 誰も傷つけずに、生きていきたかった・・・・・・・・・。

 

 「傷つけられても、傷つける側に回るくらいなら、自分を損なうものから離れよう。」

 「そして、守った余裕で、他のものを損なわない調和を目指そう。」

 それがいい、きっと。

 

 ぼくの書くことは、誰にも気づかれないよう細心の注意を払いつつ、社会に通じる理念を水面下で変えていくために、ぼくが勝手に行った、安全の保障されていない、ある種の実験の記録である。

 

 これからも、ぼくは、言うこととやれることの一致を目指して、試行錯誤を続けていく。

 

 良ければあなたも、自分の弱さを理解し、意識したまま生きていく方法をぼくに教えてください。

 

 

 

 

消えてくれない承認欲求のしくみ

「あの人間に認められたい」という承認欲求によって、生きづらくなってるとして、


生きづらさの原因が『承認欲求』だとわかったとして、

 

たとえば、認められたいがために行なっていると自覚している行動を、無理やり止めたとする。


そして、『よし、承認を求めるサイクルを断ち切ったぞ』みたいに思ったとする。

 

断ち切れていない。我慢している。


我慢していると、どこかに歪みが移ってしまう。

 

我慢しないのが一番良いのだが、我慢しなかったら、生きづらさの原因であり、止めたいと思っている『認められるための行動』を止められなくなっていく。

 

意志のみが右往左往する。
卑屈と傲慢の間を行き来することになる。

 

どうも、教えではない何かに治癒の鍵があるみたいである。

 

そして一番怖いのは……………
「よしっ、承認欲求を断ち切ったぞ」というスタンスを取ることで、自分の生きづらさの原因が承認欲求であると教えた人に対して、『承認を断ち切った! だから自分を認めてくれ』というメッセージを、無意識の内に発してしまう刹那である。

 

 

☆即興ストーリー いいえ、けっこうです。

夜の新宿は蒼い。もう新宿から出ていきたい。新宿は、ぼくのことを離さない。

 

新宿に先立って、ぼくは以前、二子玉川に行った。地名だなんてどうでもいい。ここで地名のことなんて、あなたたちには関係ない。とりあえず、少し、緑のある、長くて大きい川の、ほとりの、堤防の草原に、あのとき、存在していたのだった。新宿の夜の蒼さに縁のない、すてきで、幸せ、そんなとき。

 

「私はね、あなたのことを好かない」

 急に彼女が言ったわけである。

「何言ってるの急に?」

 休日の午後、平和な昼下がりだった。少し、草から出てくるホコリみたいなものに鼻腔が刺激されて、鼻水がお互い止まらなかった。それでも、やっぱり、仕事で疲れたあとの自然散策というものは、いくら、もう、気心の知れすぎて倦怠期みたいな二人でも、歩いていたら、心地よい。そう思っていたのは、ぼくだけだったのか?

 

「そういう風に自分の中に閉じこもってるから駄目なの」

 駄目、だなんて、言われた。そう言われて、ぼくはさらに閉じこもってしまったわけだが、そこをまたしても、彼女に突っ込まれた。

「けっこうね、不満が溜まってたの。嫌なんだよ、あんた」

 平和なひとときではあった、まだ。そういうことを言い合うのも、退屈さを感じて、そういうものがまた、実は、休息になっていたということにお互い気づいたのは、その、何年後になっていただろうな・・・・・・。少なくとも、ぼくはまだ、気づいていなかった。

 

「いくら何でもさ、急すぎないかなあ。だって、それまでおれとお前は、ハウスダストが屋外でも出てるとか言い合って、ポケットティッシュ分け合って、鼻水思いっきりかんでたんだよ。どこが嫌いなの。急すぎて、おれは、お前に対応できてないよ」

「そうやって分析的に語りやがって。ていうか、ハウスダストが屋外でも出てるとかアホ丸出しのこと言ってるやつは、そもそもお前じゃん。私はあんたがそういうこと言ってるのを聞いて、少し、恥ずかしかったから! それに、もう、丸ごとあなたに対して、嫌気が差したんだよ」

 もうちょっとその語調で彼女はまくし立ててきたのだが、もう、分割する。カットする。どう考えても、他のストレス要因が原因の、急にそういう気持ちになった感のある言葉だったし、彼女の情緒不安定感には、我ながら、二年も付き合っていて、もう、飽き飽きだった。こっちだってお前のそういうところに飽き飽きだよ、みたいに返していたら、川辺の堤防の原っぱで周りに子どもたちやその保護者である大人がわいわいボール遊びしたり、追いかけっこしたりしている、絵に描いたような休日の平和のひとときの中で、行なわれた別れ話は、頭上に広がる何も気にしていないような青空とのんびり我々を照らすお日様の光の下、周囲の家族団らん、子ども団らんの幸せに影響させることもなく、意外と平和的に進行された。間もなく、別れることとなった。やった、次の道へ進むことができる。ぼくは、けっこう、目の前の道が開けてしまった。一応まだ近くにいる彼女に未練がなかった。まあ、友だちに近い状態だったし、べつに、いいかな、なんて思っていた。

 

もちろん、彼女がどう思っていたなんて、知らない。そして、舞台は新宿へ移る

 

歌舞伎町。

歌舞伎町の夜空は蒼い。

歌舞伎町の夜空は蒼い。

歌舞伎町の夜空は蒼い。

蒼いだなんて言葉を使うことが、我ながら、まったく腑に落ちない。歌舞伎町の夜空を”蒼い”。蒼井優を想起させるような、コバルトブルーを想起させるような言葉で、歌舞伎町を表してしまって、合っているはずがないのである。しかし、そうしてしまっている。

道行く人々を、恐ろしい数のキャッチが、地獄へ陥れようとしている。歌舞伎町の夜空は蒼い。キャッチと、スカウトは、地獄からの使者であって、ぼくだって、その一人だ。

七年前、彼女と歩いた、川のほとりの子どもたちの歓声と保護者たちの微笑みで彩られた雰囲気と、真逆みたいな場所で、何を、道行く男や女性に声をかけまくっているんだろう。

ぼくは、やっぱり、自分に閉じこもっている。

道行く人に声をかけるとき、声をかける人のことを、感じていない。歌舞伎町の夜空に、あらゆる工夫をほどこして、綺麗な存在として見ようと画策しても、見ることができない。たまに、キャッチが成功する。ここは、退屈である。川のほとりで見ることに飽きてきた彼女と歩いているときに感じた退屈と、全く、違う。夜のネオンに、強く明るい人工の光に対比された漆黒の夜空に、高揚を覚えず、ぼくは、退屈である。時折、キャッチが、うまくいく。キャッチと、スカウトの仕事を兼業している。成績は、同僚と比べて悪くない。ノルマを、毎日、達成する。上司から、一日100人以上の女に声をかけろと言われる。忠実に、達成する。踏み入れた道を、後悔している。面倒なしがらみを、街から受けている。ほとほと、面倒な気持ちになっている。良さを感じられない。何も感じられない。怖さを感じないくらいに慣れているが、肌に染み入ることがない。思い入れがない。

なぜ、最初、この文化に惹かれてしまったのだろう。寂しさだろうか。彼女・・・・・・・・・・”彼女”という文字を書くことが、少し、ぼくの心において痛烈に響く。あの、川辺のほとりを。あの、ハウスダストを。あの、日常を、手放してしまったのは何なんだ? わからない。ぼくは、退屈している。こういうことを言っていれば、彼女が戻ってくれると思ったら、大間違いで、いや、彼女が戻ってきたとして、たぶん、あんまり、ヨリを戻そうとか、思わない気がする。やっぱり、彼女については、愛想が尽きていたに違いない、お互い。だから、ぼくは、新しい何かを探すしか方法がなく、よりによって、歌舞伎町を選んでしまったのだろうか? 思い切った選択である。あまりにも、自己言及はキリがなくて、どうにもならない。目の前に、とても素敵な女性が現れる。

 

 

 

 

 

 

知らない女性で、どう、言葉で表現すればいいのかわからない。彼女の魅力を、どう、書き継いでいけばいいだろう。見ず知らずの、少年のような雰囲気の、斜め下から斜め上から世界に対しているエネルギーばかり飛び交っているこの空間で、ただただ進行方向へ歩いているだけで、周りから浮いていて、気取ることなく、ただただ歩いていて・・・・・・・・・・。

周りの状況に、全く気を留める気が見られないその目つきに、ぼくの心は惹かれた。

たぶん、彼女の内心は、とても、”退屈”で、ぼくは、あの心中の”退屈”を、求めていて、彼女の内心に、全て、ぼくの中に入っていけるように、思えて、支離滅裂で、何をそんなに、女性の魅力を永遠と書き継ぐだなんて、恥ずかしい作業をしているのだろう。

なぜ、こういう雰囲気の女の人が、こんなところにいるんだろう。想像してみる。この歌舞伎町には、サブカルの聖地として有名なとあるライブハウスが、存在している。そこで、彼女の好きなサブカルのアーティストか何かが、催し物をして、それに、参加していたのだろうか。あのライブハウスで行われるイベントは、大抵、終わりの時間が、ちょうど、今のような夜中で、キャッチの嵐の吹き荒れている時間帯となっている。そういう危険な状況下において、その、全く素朴で、何の色気すら出しておらず、何にも参考にしてなさそうに思える歩き方で、彼女は、何のこだわりもなく、嵐をかわしていく。

「いいえ、けっこうです」

無駄な警戒もゼロで、断る方も、断られる方も、お互い、何の悔恨も起きないくらい、ただただ、断っている。

あのときの川べりを、思い出してしまう。

秋も近づき、若干、雑草が枯れはじめて、黄色く染まって、あきらめの様相を醸し出していく、あの、草の持つ、退屈さ。ぼくは、退屈ではなくなっている。

ずっと、疲れていたから、退屈になっていた。退屈になることで、疲れないようにしていた。退屈が消えて、ある種の頑張りに踏みだしていくことは、危険に身をさらしてしまうのは、なるべくならば、避けたいものだ。

だが、目の前の出会いが、退屈を強制的に追い出させようとしてしまう。

彼女を見つめる。

退屈なあの川のほとりを感じる。

ハウスダスト、日の光、和やかな団らん。

あの幸せを取り戻すために、ぼくは、退屈ではなくなってくる。彼女を見つめる。彼女に近づく。スカウトのときの早歩きで近づく。ぼくは、ぼくがどのような格好をしているのか忘れている。キャッチの恰好をしていることを忘れている。きっと彼女は、退屈しているぼくを退屈にさせてくれる。彼女との未来しか、想像していない。ぼくは、近づく。彼女がぼくの気配を感じる。彼女は何かをさけようとするかのように手を自分の体の横にかかげる。

 

 

 

 

 

☆即興ストーリー 荒野の心

 

 

不気味な朝の目覚め。

 

「今宵は月の小石を持っておいで」

 

昨晩、あの人は言った。

だから、ぼくは探した。

しかし、見当たらなかった。月の小石とは何だろう? アポロ11号が持って帰った的な、本当に、ものすごくレアなものだろうか? しかし、そんな大規模な小石を、ぼくが持って帰れるわけがない。

 

だから、どうにかして探さなきゃと思ったが、何の手がかりすらもなく、途方に暮れていた。もうすぐ、ぼくの知り合いは死んでしまうのに。

 

あの人は、月の小石さえあれば、ぼくの知り合いの命を救えるなどとうそぶいた。ぼくは、信じるぞ、なぜなら、それしか知り合いの命を救うアテがないからだ。それにしても、一切、手がかりがわからず、途方に暮れていた。

 

不気味な朝。

 

上を見上げると紫のような青空。

 

もうすぐ、地球は破滅してしまうのだろうか。

 

だからといって、ぼくらは死ぬわけにはいかない。なぜなら、・・・・・・・なぜなら・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

停止した。

 

もう、何にもできる気がしない。何をどうすればいいか全くわからないし、それにしても、あの人とのぼくとの会話は、非科学的すぎて、信じられるはずもなく、どうしようもなく、君を助けたいのに!!!!!!!!!

 

君が好きなんだ!!!!!!!!!

こんな言葉を使うのもどうかと思うが、愛してるんだ!!!!!!!!! 陳腐だ!!!!!!!! 陳腐な感情だ!!!!!!!! 叫びつづけるのすら陳腐で恥ずかしくなるしもうどうでもいいと思ってしまいそうになる辛い嫌いおれが嫌い。

月の小石だけは見つけられないと駄目だ。なぜなら、君が好きだからだ。だからといってどう探せばいいかわからない、だけど闇雲に探す他方法がないじゃないか!!!!!!!!!それしか方法がないのだろうか・・・・?

 

よ~く、・・・・・・・・・よ~く・・・・・・・・・・・・・・・考えてみよう。

 

ある日のことだ、ぼくは君のためにラブレターなんていうクソ恥ずかしい時代の産物みたいなものをこしらえた。まあ、とりあえず、無印良品の便せんと封筒を用いて、シンプルかつ丁寧な文字で埋めた、想いはシンプルかつ丁寧で埋めることは叶わなかった。いつものパターンだと思った、どうせ、失恋する、ぼくの好きな君は、ぼくの手元へ、置くことができない。

 

不気味な、朝だった。

だから、ぼくは君に渡そうとした。ラブレター(笑)をものすごい勢いで、引かれてしまうくらいの勇気でもって、渡そうとした。引かれてしまうことすらいつものことで、もう、どうしようもなかったし、こんな自分はさっさと死ねばいいと思っていた。だけど想いを伝えることをどうしても我慢することができないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

「今宵は月の小石を持っておいで」

 

今宵は月の小石を持っておいで? 月の小石って何だろう。アポロ11号が持って帰るような非現実的なものではないとして・・・・・・・・・・・・というか、もしそういう手段しかないのなら、そもそもが無理な話で、っていうかもしそんな金があったら君をアメリカの最先端医療技術に触れられるくらいの何千万円を余裕で確保することができるだろう。だからぼくは、他の手段を考えてみる必要があるのだ。というか、アポロ11号系列の手段はないものとして考えるべきなのかもしれない。

 

何とな~く、無印良品が頭に引っかかった。

 

君に無印良品の良さを教えてもらったんだ。それは、本当に何気ない会話においてだった。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。無印良品は良い、と。洗脳だった。洗脳でしかなかった。まるでロボットのように、君はそういうことをくり返した。そんな君の侵された感じが、何となく、好印象を持てたというよりか面白かった君に好印象を持ったなぜなら君はかわいかったから君の無邪気な笑顔が本当に忘れられなくって!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

非常に無印良品の中のレパートリーとしてこの世にあるあの小石が気になった。

 

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www.muji.net

 

 

全、無印良品の商品の中で最も『月の小石』っぽい、もちろんこの素焼きストーンが月なんかで採取されたものではないなんてことはこの文章を読んでいるあなたよりも100

億光年も早く素早く瞬時に気づいていたよでもおれにはこの手法しかないんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

とにかくぼくはこの商品に手がかりがあると思ったなぜならある物事へ繋がったからだ。

 

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www.amazon.co.jp

 

これも君が教えてくれたんだ。アーティスト・七尾旅人が一人で作った3枚組のアルバム『911FANTASIA』アメリカの月面着陸から、同時多発テロに遭うところまで、アメリカの新帝国主義に堂々疑問符を投げかけた大作、というようなあらすじがどこかに書かれていたような気がする。

 

このアルバムは、本当に良かった。手に汗握った。感動した。君のセンスは素晴らしいと思って、こんな女の子に恋をした自分が誇らしかった。しかし、なぜ、このアルバムと素焼きストーンが繋がったんだろう?・・・・・・・・・・・・・・・・・そう言えば、あの曲だ、ぼくはiPhoneにイヤホンを差し込み、耳に突っ込んで二曲目の『荒野』を再生した。

 

『荒野』というのは、アポロ11号が月面へ着陸したことと、それによって影響された全世界の人たちのことを描いた10分の曲であった。 

 

なぜ荒野かというと、アポロ11号が月面へ着陸し、船員たちが見た景色が『荒野』であるから、ということ、。

 

『That`s one small step for a man,one giant leap for mankind.』

一人の男にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ

 

「荒野・・・・・・・・・月の・・・・・・・・・荒野・・・・・・・・・・ニールアームストロングは台詞を忘れている。それで・・・・・・・・・おーろ、おーろ、してーる」

 

曲は進む。

 

「僕は、たずねる。僕は彼らにこうたずねる。どうへゆくつもりだい? こんな居心地の良い場所を離れて、どこへ行くつもりだい?こんな居心地のいい場所(地球)を離、れ、て」

 

彼ら(アメリカ)はこう答える。

 

『荒野』

 

荒野・・・・・・・・・・・・・・・・・君の、荒野。真新しい、荒野。夢にまで見た、荒野。

 

素焼きストーン。”素”の、ストーン。汚されていない、ストーン。真新しい、ストーン。

何て恥ずかしい類推だろう。こんなの、デタラメでしかないじゃないか。でも、他に君を救う手立てなんてあるか? これしかないだろう。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・これで良いはずがない!!!!!!!!!!!!!!!!!限界なのか?・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

思えば、君との未来も、荒野なのかもしれない。

少なくとも、ぼくにとっては、荒野だった。

真新しい荒野、夢にまで見た荒野。いつも輝いている、荒野。見通しの利かなく、未知で、ドキドキする荒野。アポロ11号というのは、ぼくのラブレターなのか。君という名の月面着陸を成し遂げるのは、アポロ11号なのか。無事、打ち上げて、そして君の荒野に足を踏み入れる。そのとき、ぼくは何を考えるだろう。荒野・・・・・・・・・・月の・・・・・・・・・荒野・・・・・・・・・真新しい・・・・・・・・・荒野・・・・・・・・・夢にまで見た・・・・・・・・・荒野

 

 

 

君が好きだ。

 

 

 

ラブレターを届けよう、と思った。

ラブレターを届けないことに、月面へ着陸する方法はないじゃないか!

 

そもそもこのぼくが、現物の月の小石を届けられるわけがないじゃないか! それくらい、あの人だって承知の上だろう。あの人は、やたら文学的表現が好きだったし、夏目漱石の「月が綺麗ですね」みたいなことが頭によぎった結果、わざわざそういう変な表現を使ったんだろう。

 

つまり、想いを伝えろ、ということだったんだ。

 

「今宵は、月の小石を持っておいで」

 

おれが、試されていたのは、君の病気を治すことではない。君の病気の、そばにいてあげることだったんだ。君のことを一心に願っていた。だから、こういう風に悩むハメになった。しかし、悩んでいただけだったんだろう。具体的な行動は何一つ、実行できていなかった。つーか何だ? 月の小石なんていう表現の意味が、まだ、これっぽっちもよくわからない。しかし、それであるが故に、ぼくは、君へと渡したいものを渡すことしか今君に対して君のために(君のために?)できることはないんじゃないか? 病室で、孤独な君に。孤独かどうかはわからないけれど、とりあえず、君のことを強く想っている人間が、ぼく以外にもいるかもしれないけれど、また一人、ここにいる、ということだけはわかってもらえたなら。ついでに素焼きストーンも持っていこうかしら。君の好きな無印良品の、エッセンシャルオイル・スウィートオレンジも添えて。

 

家を出た。

不気味な朝の目覚め何て言ったのは、何でだったんだろう。ごくふつうの青空が広がっているだけだ。

 

 

 

 

 

 

☆即興ストーリー 現代にはびこる合理的な価値観より合理的な『ありのままの状態』が、ぼくのような狂人によってオーガナイズされることによって生まれる『大衆が抱く危機感』。あるいはそれに対してぼくが抱くジレンマ

 

今までの苦労が台無しだったと言っても過言じゃない。

 

なぜなら、この世の中の狂気と共に、ぼくの中の狂気も、狂気なものだったからだ。狂ってたのだ。

 

だから・・・死んだほうがいいんじゃないか? と、日頃80回くらいは己に問いながら、それでも、生きていかなくてはならなかった。

 

狂ってる。

 

何もかもが狂ってる。

 

世の中に存在する、ありとあらゆる言葉という言葉が、最上級に狂ってる。

 

ぼくの尊敬する人は、狂った言葉を使わない。しかし、そんな彼らも、常人から見れば狂ってる、または、(・・・よく、わからない・・・)という感想を抱くのだがまあそんなもんだろう。

 

この世に・・・望みが生まれない。

 

断絶。

 

自分の中での、この世への、痛切かつ救いのない断絶。

 

この世に・・・望みがない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・ブッダは言った。みんな、平等だと。・・・・・そんなことを言ったのか? おれの言葉が狂気を帯びたものになっているかもしれない。しかし、ブッダを信用している。ブッダだけは信用している。極楽浄土なんていう存在はもう一切信用していない。しかし、ブッダだけは信用している。

 

ブッダは、個人だからだ。

 

ブッダは、ちゃんと、君やぼくよりも、個人だからだ、きっと。ぼくは、誰にも支配されたくなくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて個人になりたくて個人になりたくて、個人になりたくて、個人になりたくて(手が疲れた)。

 

だから、ブッダを信用している。

 

ブッダを信用している。

 

ブッダを信用している。

 

ブッダを信用している。

 

あらゆるフィクションから解き放たれた真実のありのままを、真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままを真実のありのままをそれはぼくたちにとって突拍子のない何かじゃないごくふつうに昔からあったものだなんというかぼくらを洗脳していく何かじゃない洗脳という概念自体人間が作ったものだから人間というものがありとあらゆる意味のわからない狂気の狂った考えを生み際限なく試行錯誤遠回りの結果こんな気味の悪い状態になってそれに必要なのは浄化みたいな輝かしい考えでも何でもなくただありのままを見つめるというだけに過ぎないような気がするのだけれどあなたはどう思いますか?ぼくがこのような狂った文章を書いているのはぼくが狂っている証であって間違ってもブッダが狂っているという意味ではないからブッダだけは信じてほしい信じなくてもいいけどぼくの所業によってブッダもろとも「気持ち悪い」と思うようなことはどうしても避けてほしいお願いですこんな狂った文章を書いてしまってすい、ませn

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言いたいことだけは、わかってほしい。

 

君を傷つけることじゃないんだよ。

 

君に危害を加えるようなことじゃないんだよ。そんなことをするつもりはないんだよ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ごめんなさい

 

気味悪がらせてごめんなさい

 

気味が悪いことを言っているのはとてもよくわかるんだ。

 

だけど、こういう言葉自体が君にぼくに対する慰め等の感情をおびき寄せ、そのためにぼくと君との間に病的な共依存関係が成立したらどうしよう?

 

そんな、なんつーか、まだ救いようのあるレスポンスをいただけるならこれ幸いだろうが、大抵は、気味悪がられるだろうなあ。意味わかんねえだろうなあ。

 

まあ、意味わかんないくらいがいいのだろうか。

 

一応、ふつうに会話はできるんだ。日常において。しかし、日常を司る、メディアが生む、ありとあらゆる価値観のことを、どうも手放しに信じられないだけであって(概念なんて一切が信じられない)、

 

信じられるのは、体だけ。

「病んでる」って何だろう?

「病んでる」ってなんだろう。


本来自然界に存在しなかった『概念』を、自他を判断するときの定規として使いつつ生きている時点で、生き物として病んでいるのかもしれない。

 

 

社会システムの中で生きている人は『人間』で、
社会システムも含めた自然界で生きている人は『生き物』なのだろう。

 

社会システムに置いて行かれないように心の安定を犠牲にすることは、自分の中の、システムに相容れない部分を否定することにもつながる。

 

何だかまとまらなくなったけど、下は、ホームレス研究家や新政府内閣総理大臣を経由して、今は小説の執筆に力を注ぐ『建てない建築家』、坂口恭平氏のツイート。

 

こういう訳がわからないけれどパワフルな(かつ、本質に迫る)活動をしている人がいるとわかるだけで、定規を当てられる辛さから少し解放される気がする。

 

 

 

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『考えすぎること』を止めない人生

「考えすぎるな」「あんまり深く考えるなよ」という言葉がある。


思い詰めて苦しんだりしている人を慰める言葉であるが、そう言われてすぐさま『考えすぎないようになる』人なんているんだろうか。


僕は、深く考えることを止めることができなかった。考えすぎることで悩みは増え、精神に支障が出ることはよく知っていた。だけどその時の僕は、考えすぎざるをえなかったのだ。


この文章書いている今だって、僕は考えすぎてストレスのせいか動悸が出ている。でも、それくらい考えたいことを徹底的に考えている現在の状況が、結構楽しくもある。


そもそも『考えすぎる』の【すぎる】は、どのような指標によって定義されているのだろうか。
どれくらい考えたら『すぎてしまって』いて、どれくらい考えることを留めたら、ちょうどいい『考える』になるのだろうか。


そんな指標は、人間社会において正式に決まっていないらしい。意見は人によってまちまちだ。


というか考えてみるとわかるが、この宇宙において、元来『考えすぎる』なんて言う概念は存在しないのだ。


『考えすぎる』と言う概念は、そもそも自然界にない。
『考えすぎる』と言う概念は、人類の共有する妄想であると言える。
つまり、言うなれば、『すぎる』とか『すぎない』とか言う判断基準はその人自身の中にしか存在しない、ただの妄想でしかない。


なぜ、考えすぎるのか。
それは、その人自身が考えすぎることを求めているからだ。


誰だって考えたくないことについては考えない。
だけれど、どうしても考えたくなってしまうこともある。


心に引っかかっているから、考えてしまうのだ。
逆に言うと他のことに集中して気をそらしたりすることで、考えることをストップしてしまうのは、また考えることを再開しない限り、たまたま起きる偶然によって消失するまで、それは心に引っかかったままだ。


あまりにも考えすぎてヤバくなったら、意識をそらしたり体を動かしたりして、心と体をリセットすればいい。


でも、時を置いても気になってしまうのなら、もう、考えてしまえばいい。向き合ってしまえばいい(もちろん、無理は絶対してはいけない)。


心にいろんなものが引っかかったままでも、棺桶に入ってしまえばそんなのは関係なくなる。
でも、考えることに突き進むことで、日々抱えている後悔が少なくなるかもしれない。


考えることで悩みが減るとは限らないが、悩みの質は変わるだろう。
僕は変わった。それまで悩んでいたことをあまり悩まなくなり、また違う悩みが生まれた。それは、悩みのループを回っている感覚ではなく、新たな境地に至れたみたいな感じだ。


僕はこれを、勝手に『成長』と呼んでいる。


悩むことは、いいことだ。
悩めることは、才能だ。
この性質に自信を持って、ぼくはこれからも悩み続ける。

 

復讐心が生まれるワケ

 

見下された人は、見下した人に復讐したくなる。

 

たとえ、見下した側にどれだけ理由があろうと、見下される側に非があろうと、見下す働きかけをした瞬間、見下された相手から復讐心を持たれることになる。

 

 

これは、男女関係なく起こる現象である。

 


たとえば、ある女性が一人の勘違いした男性に好意を持ったとする。
女性は、何とかして男性の気分を良くしようと、色々尽くしてしまい、勘違い男性の生来の傲慢さを増長させてしまう結果になる。
彼はその女性を『思いのままに扱ってもやり返される危険のない存在』と判断し、安心して自分勝手に振る舞うようになった。


いつしかその女性は、その男性に対して、強い強い殺意を抱くことになるだろう。

 

 

女性も、男性を見下すことがある。


その背景には、
「過去、男性に傷つけられたことのトラウマ」
「何にもわかってない男性たちが、無自覚にポロポロ落とすゴミを拾う役目を負わされるのが女性である。ストレスが溜まるから、見下さないことにはやってられない」
など、切実な理由があるかもしれない。


女性が男性を見下すとき、多くはこうなる。


・見下す男性がいないところで、見下す
・その場でやり返される危険性のなさそうな状況が整ったとき、男性の目の前、あるいは声の聞こえる範囲で、見下す

 

 

ぼくは後者を何度かされたことがある。


ぼくの場合、見下されてしまった自分自身にも大いに非があると思った。
そもそも、何でわざわざ見下されてしまうのか。なぜ、わざわざ聞こえる範囲で陰口を言われてしまうほど、その女性にストレスを与えてしまったのか。なぜ、やり返される危険がないと判断されたのか。そこを考える必要がある。


見下した人だけが悪いわけではない。


ただ、当時ぼくが抱いたその女性への強い強い殺意は、4年以上経った今もずっと消えずになくなってくれないーーーーーーなんて、思っていたときだって、ありました。

 


どのような場面においても、相手を見下さず、見上げず、一定の緊張状態でもって対等に正対することが大切だと、最近、身に染みて感じています。

 


復讐心を抱いてしまうのは、相手と正対することを怠った結果とも言えますね。

 

 

 



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信じたいように信じることが、”情”に繋がる

 
 
 
 
自分と違う人のことは、自分が信じたいようにしか信じることができないのではないか?
 
 
「この人は、こういう人だ」と、強く信じることで、人はその人について『ある態度』で接せられるのではないか?
 
 
 
 
 
 
 
 
ぼくの長年患っていた症状は、「人を信じることができない」というものだった。
 
 
他人の何気ない対応からぼくへの評価をすぐ悪い方へ勘ぐったり、傷つく恐怖からこちらから素っ気ない態度を取ったり・・・片想いの人にどうしても一歩踏みだすことができなかったり・・・。
 
 
 
 
真実だと思っていることがある。
 
『人と人は、わかり合うことなんてできない』
 
『友情や恋愛感情は、そもそもが勘違いから起こる感情である』
 
 
 
ひねくれ精神から言っているわけではない。
 
突き詰めて考えていくと、その通りだと気づくのだ。
 
 
 
 
だが、信じることはできる。
 
 
もしそれが勘違いの幻だとしても、そのとき友情や恋愛感情を感じることができたのは、その瞬間において人を信じることができたからだ。
 
 
 
信じた結果、打撃を加えられることもある。
 
 
 
その人をよく見ないで、自分勝手な像を作ってしまったのかもしれない。
 
あるいは、色んな不運が重なった、しょうがない結果だったのかもしれない。
 
 
 
改善できるところは改善できる。
 
人を見る精度を高めるため、日々取り組むことはできる。
 
 
 
正しい事実を淡々と見ようとする。
 
自分の心の安全が害されるかもしれない場面でも、ときには勇気をもって見てみる。
 
 
 
 
しかし、どうあったとしても、『その人は悪い人間ではなく、良い人間なんだ』と最後まで信じてみる。
 
 
 
 
もし、「この人は心の優しい人だ」と信じられた人が、悪い言動をしてしまったとする。
 
その悪い言動は、悪い言動だと思う。
 
しかしその行為は、その人の心優しさと地続きであるに違いない、どんな事情があるかはよく知らないが、絶対、この人は変わらずきれいな心を持っている―――
 
 
 
 
暴力行為に走ってしまう不良青年がいた。
 
 
その青年を好きになった女性がいた。
 
 
 
女性は「この人は乱暴なことをするけど、本当は心優しい人だ」と感じた。
 
 
 
青年は彼女の前で時折涙を流したりと弱さを見せた。
 
しかし、なかなか暴力行為をやめることができなかった。
 
 
 
青年から暴力を受けた被害者は、彼を極悪非道で、良心の存在しない、サイコパスの純悪人だと見た。
 
 
 
女性も青年に、数々の黒い感情を抱いた。
 
そうなることが自然だった。
 
それくらい彼は、恋人にもひどいことをした。
 
 
 
しかし女性は青年を見続けた。
 
そして、信じた。
 
 
 
「あなたは、心の優しい人だよ」
 
 
 
 
 
青年には、『あなたは心優しい人だよ』と言われた事実が、死ぬまで残り続けた。
 
 
 
 
 
「信じ続ければいつか報われる」などと言いたいわけではない。
 
 
世界にそんな単純な図式は存在しない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ぼくが確かに言えることは一つだけ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
誰かに認められた暖かさを、人は一生忘れない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

幻の命 〜君を忘れない〜




たしかに君はとても頑固だったと思う

自分を絶対に曲げないし、君が「これ!」と言ったら、君の意志はとても強固で、もう誰も、君に逆らえなかった

でも、それが君の、いわばアイデンティティーだったんだね

絶対に曲がらなかった君が「割れてしまって」、僕は本当に驚いた。

そんな日が来るだなんて、考えたこともなかった。
これからもずっと、君は僕のそばに、そっといてくれて、僕のことを助けてくれる……そう思っていた

なんて僕は愚かなんだろう。
「君がいない」
その事実が急におとずれて、僕は、心にぽっかりと穴が空いてしまったような気持ちだ。

たしかに、君は頑固だった。

だけど同時に、とても献身的だった。

いつも、僕のことを助けてくれた。
自分の力ではなにもできない僕を、君はなにも言わずに、ただ手を貸してくれた。

「君が、君では無くなってしまってから」、僕は初めて、君の大切さを思い知った

もっと、君のことを大切にすればよかった……


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