小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ②

 

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ①

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ②

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ③

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ④

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑤

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑥

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑦

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑧

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑨

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑩

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑪

 

 

 

 一時間目の授業は、国語だった。廊下で待機していた石原教諭は、二年六組の教室に入った。年齢は四十半ば。頬骨から垂直に、直線に皮膚が降りているため、顔は四角形である。つまり顎がない。髪の毛はクセがあり、頭上でうねりにうねって、一回転して、結果的に短髪に見える。かけている眼鏡は、縁が目立つタイプではない。中肉中背の体型で、肩幅が広く、体全体が、贅肉も多いだろうが、がっしりしている。昔は、柔道をやっていたらしい。

 チャイムが鳴って彼が入ってくると、喋っていた人達も話を中断し、おとなしく、自分の席に戻った。

 

 石原は教卓に向かう途中、ふと、右腕に巻きつけてある、腕時計を見た。今は八時五十分のはずだが、彼のアナログ腕時計の長針は、11を指していた。短針は、8を示していた。石原は素早く、長針の位置を10に移動させた。作業が終わると同時に、石原は教卓の後ろに来た。

 日直の蓮池が、起立、礼の号令をかける。

 石原は軽く頭を下げて、生徒の礼に応じた。生徒が着席した後、眼鏡を外して顔を名簿に近づけて、いつものように、出席状況を記入した。記入し終わると、教卓の隅に両手を置いて、石原は体重をかけた。

「じゃあ、漢字練習を見せて。」

 

 石原が言った。生徒は、国語用のノートを広げ、ページをめくり、あるページに到達すると椅子から立ち上がり、石原の前に並んだ。並ぶ人はたちまち増え、サイン会のような行列ができた。各々のノートの開いてある見開きには、右か左の、どちらか片方のページが漢字で半分埋まっていた。

 

 

 ①    依存依存依存依存依存  ② 感銘感銘感銘感銘感銘

 ③ 削減削減削減削減削減  ④ 衝動衝動衝動衝動衝動

 

 

 このように、一単語につき、五回ずつ書かれている。それが二十五個である。つまり生徒たちは、B5ノートの一ページに、百二十五個もの単語を書いたことになる。しかし中には、熟語が五個ずつ羅列されている中に、四個や三個しか書いてない熟語を、時折織り交ぜていたりしている。

 

 列の最後の人が、ノートを見せ終った。

 

「はい皆、今日も全員やってきたな。だけどな、字が汚い奴が多いぞ。字には、人の心が表れるからな。上手く書かなくてもいいが、丁寧に書くんだぞ。」

 石原が戒めたその時、後ろの引き戸が急に開いた。

 一人の男子生徒が入ってきた。長身でも小柄でもない背丈に、色白の肌、あまり筋肉のついてなさそうな細身の体型、丸い眼鏡。髪は全体的に短い。そんなインドアな雰囲気の男子が、表情を隠すかのように、俯きながら歩いていた。

 

 その眼は、どんより濁っていた。常人より、ストレスを感じている人の眼だった。

 

 彼は縦横六列の席順で、黒板と対峙した方から見て、窓側である左から三番目、前から四番目にある、自分の席に座った。その間、周りは無言だった。

 

「樹村か。何で遅れてきた。」

 

 石原が彼に問うた。

 

「下駄箱に、上履きがありませんでした。・・・・・無かったので探していました。」

 

 後半は涙声だった。急に彼は泣きだした。くすんだ瞳は、みるみる涙で水浸しになり、窓から入った夏の強い日差しを受けて、それは輝いた。

 

 他の生徒は、「またか」というようなうんざりした表情で、その押し殺した泣き声を聞いた。しかし例外がいた。吉木、村主、武藤、小池、三田の五人は、顔をニヤつかせて、樹村の泣き声を楽しんでいた。

 石原は樹村のその様子を見て、眉間にシワを寄せた。

 

「男が泣くんじゃない! 男は誰もいないところで泣け!」

 

 石原が彼を叱った。声量は平常通りだが、声に力がこもってハリが出ていた。彼は消え入りそうな声で、「すいません。」と言った。

 

「お前は精神を鍛えなくてはいけない。泣いてばかりじゃ強くなれないぞ。いいか!」

 

 厳しい相貌で、再度叱責した。

 

「はい!」樹村は強く返事をした。少し泣き止んでいた。

 

「よし。じゃあ漢字を出せ。」

 

 彼は中学校の校章が印刷されたバッグから、ノートを一冊取り出した。それを持って石原の許へ歩き出した。歩く途中で、樹村はノートのページを、一ページずつ、音を立ててめくっていった。その音に、周りの何人かが顔をしかめた。目的のページに辿り着き、彼は手を止めた。その見開きの両ページには、漢字が隅から隅まで、びっしりと記入されている。遠くからだと、ただ黒いことしかわからない。石原の許に着いて、それを見せた。

 

「よし、よくやった。一単語で二十回も書いたお前は偉い。おい!お前ら、こいつを見習えよ。」

 

 そう言って石原は、彼のノートを手に取って高く掲げて、その黒い見開きを全員に見せた。ノートの持ち主は、照れくさそうな笑顔を他の三十四人に見せた。涙は止まっていたが、目はまだ赤く腫れていた。しかし、そこにはさっきまであった濁りは無く、涙に依らない確かな輝きを放っていた。

 ノートを返され、少し微笑みながら樹村は、自分の席に向かって歩いた。そんな彼を迎える三十四人の空気は、決して温かいものではなかった。

 

 授業が始まった。石原は生徒に、「漢字学習」というテキストを机の上に置き、今回のページを開くよう命じた。生徒は、目的のページを開いた。

 

 

「麻」 ①麻薬(  )に依存する。

「銘」 ②ピカソの絵に感銘(  )を受ける。 

「削」 ③経費を削減(  )する。

「衝」 ④思わず、衝動(  )買いをしてしまった。

 

 

 「漢字学習」で開いたページの右側には、このように生徒がノートに書いていた二十五種類の熟語が、そっくりそのまま使われた例文、二十五種類が提示されていた。左のページでは、右の熟語が平仮名になっている。

 

 そして石原は、生徒に、冊子を真ん中で山折りに折り、左のページを上にするよう命じた。そこには書きの問題が、空白の解答欄と共に印刷されている。

 

「じゃあ準備はいいか。・・・始め!」

 

 全員が一斉に、解答欄の空白を埋め始めた。シャーペンで字を書く音が、教室内を単独で支配した。

 

 三分が経過した。

 

「止め! はいそれでは、隣の人とテキストを交換して。」

 

 樹村と、隣の佐藤のペア以外全員、隣人と冊子を交換した。そして赤ボールペンを筆箱から取り出し、他人の答案の○つけを始めた。

 

 全員が「漢字学習」を隣に返したことを確認し、石原は言った。

 

「よし、じゃあ聞くぞ。全問正解の人!」

 六人ほどが、手を挙げた。その中に、樹村の青白い手はない。

 

「よし、よくやった。では二十問以上の人!」

 クラスの大半が、手を挙げた。

 

「うん、あともう少し頑張れ。じゃあ二十問以下だった人!」

 三人くらいが手を挙げた。それを見て石原は、「ん?」と疑問の声を出した。

 

「篠崎。お前この頃どうかしたのか?」

 石原は、挙手していた篠崎玲菜に声をかけた。

 

 髪の毛が顔を避けて、首の中間あたりまで伸びている。その髪は量が多く、厚みがあった。一部は、外に少しカールしている。正面は、左眉毛を覆い尽くすように、髪が濃くかかっている。眉間は髪の密度が下がり、とぎれとぎれに左と同じ長さで伸びている。右眉にさしかかると密度はそのままだが、長さはだんだん大きくなる。右目中央となると、とうとう眉毛を越して、上まぶたで丁度止まっている。そのふんわりとした全体の印象は、八十年代アイドルの髪型と少し趣が似ていた。

 

 そんな彼女の体は、不健康の域に入りかけているくらいに痩せている。頬は、少しこけていた。そんな彼女に石原は言った。

「ここ三回くらい、ずっと二十問以下じゃないか。ちょっと前は必ず二十五問だったのに。テスト勉強で気が回らないのか?」

 篠崎は黙って、首を横に振った。篠崎を含め、手を挙げていた人々は、既に下ろしていた。ちなみに今日は、期末試験一週間前である。二日後には五日前になり、そこで部活動停止期間に入る。

 すると石原は、頬を少し上げて、ふふっと笑った。

 

「頑張れよ。俺はお前を応援しているんだ。篠崎は、俺の初恋の相手によく似ている。」

 

 三十五人の空気が、一気に張りつめた。篠崎は思わず、「え?」と声を漏らした。そんな彼女を見つめて、石原が言った。

 

「ふふん、可愛いな。」

 

 女子全員に鳥肌が立ったその時、野球部で五厘刈りの葛城と、樹村がいきなりせき込んだ。

 

「どうした。大丈夫か。」

 

 何事もなかったかのように、石原がたずねた。葛城は、そんな石原を鋭い眼光で睨み付けた。樹村は、明るくなっていた眼を完全に暗くして、下を向いた。そして「漢字学習」の

《二十五問中、(24)問正解》という部分を見つめた。

 

 

 

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