小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑤

 

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ①

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ②

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ③

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ④

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑤

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑥

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑦

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑧

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑨

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑩

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑪

 

 

 

 二時間目は、社会だった。チャイムが鳴り、赤いジャージがトレードマークの松田教諭が、肩を揺らして教室に入ってきた。

 

 歳は三十になったばかりだ。しかし、若々しいという感じはしない。全身に纏うオーラは、堅気ではない人種の匂いが少しする。白いシャツについたカレーのシミのように、どうやっても取れないものだ。身長は長身というわけではなく、やはり中肉中背である。だが、その他を威圧する雰囲気は、実際の体格以上に彼を大きく見せている。スポーツ刈りで、一重のまぶたが鋭い目つきを助長している。

 

 案の定、松田が教室に入った瞬間、生徒は会話をさっと止めて、自分の席についた。

 

 教卓の隅に松田は両手をついた。すぐさま蓮池が起立、礼の号令をかける。

 

 チッと松田は舌打ちをした。生徒に、怯えの表情は一切無かった。

「じゃあ、昨日は応仁の乱のところまでいったんだよな・・・・・・・樹村、どうした?」

 松田は、ずっと伏せて頭を抱えている樹村を見つけて、声をかけた。

 

 樹村は、返事をしなかった。

 

「樹村、どうした?」松田が、もう一度聞いた。

 すると、伏せられた樹村の顔から、涙のすする音が響いた。一度咳のような音が聞こえたあと、彼は何かに解き放たれたかのように、声を出して泣き始めた。地の底まで沈み込むような、暗い泣き声だった。

「ああ、あああ!」

 

 声が大きくなった。断末魔の涙を、濡らしたタオルから流れる水のように多く流した。他の大部分の生徒は、まぶたを少し狭めて、不機嫌そうな顔をしていたが、何も言わなかった。

 

「樹村。あとで話を聞く。昼休み、職員室に来い。」

 

 樹村は泣きじゃくりながら、小さな声で「はい」と答えた。そのはいという小さな声は、沖の荒波の中に、流された人の姿が辛うじて見えるように、泣き声の中に埋もれていた。

 

 松田は樹村の返事を聞いたあと、吉木、村主、武藤、小池、三田らを一瞥した。チッと舌を鳴らした。樹村の泣く声は依然大きかったが、だんだんと鎮まっていった。松田はチッチッと舌を二回打った。

 

「おっし。授業始めるぞ。」

 松田は黒板の溝からチョークを手に取り、黒板にその先をつけて、白い石灰を刻んだ。

 

 

「本能寺の変。家臣の明智光秀が寝返って、本能寺にいた織田信長を討った。信長は、戦国大名がやりたかった天下統一にかなり近づいていました。でもまあ、荒っぽい性格が家臣を裏切らせたのかはわからんけど、殺されたわけだな。けどその後、信長に近かったある男が、なんと天下統一を果たしてしまう。その人っていうのは、有名だから知ってる人は多いかもしれないけど」

 

「豊臣秀吉ですよね!」

 

 樹村が声を張って言った。その顔は、二十分ほど前からは想像もつかないほど、活き活きしている。

 

「ああ、そうだ。」

 

「三木の干殺し・鳥取城の飢え殺し・高松城の水攻め! 奇策をよく考えつきますよね! 信長が死んだあと、豊臣秀吉が様々な行動を素早くどんどん起こして、すぐに後継者になっちゃったわけですよね。とても賢いですよね~。頭良いから、僕は憧れます。」

 

「ああ、そうか。」

 

「朝鮮に軍を出したのは、秀吉は一体どうしたんでしょうかね? 殺された人が憑りついて、狂っちゃったんでしょうかね!」

「なあ樹村。」

「ああ! 長宗我部元親!」

「おい!」少々声のボリュームを上げ、鋭く言った。

 すると樹村は、何かに気付いたように、目をはっと見開いた。そのまま、口を固く閉ざした。

 周囲から、舌打ちが一つ聞こえた。

 

「おい、葛城。」

 幼名の日吉丸から豊臣秀吉になるまでの改名の経緯を黒板に書き終えたあと、いきなり松田は葛城を呼んだ。

「え・・・はい、なんでしょう。」

 縮み上がった声質と妙な敬語に、周りからクスクスと笑い声が、水が沸騰しかけている時に出る泡のように、あちこちから湧き出た。

「お前、髪長くねえか?」

 

「え、いや、そんなことはないと思います。」

 二、三人が吹き出した。葛城は見るのも痛々しい、見事な五厘刈りであった。松田の舌打ちが聞こえた。

 

「ああ? こんなもんじゃあめえよ。俺が野球部の練習中、刈ってやろうか? 血が出るまで。」

 ドスの利いた声で、松田が言った。

 

「え・・・あ、あはははは、や、やだなあ先生。冗談はよしてくださいよ~。」

 

「んだと? 冗談だとおもってんのか。俺も今日の練習終わったら、野球部顧問として頭を丸めんだよ。顧問が二ミリになるなら、部員は髪を消し去るのが礼儀だろうが。」

 

「・・・・・・グランドのどこで執行なさるのでしょうか。」

 

「バカ、真に受けんな。冗談だ。」

 

 溢れだした笑いが、空間に蔓延した。

 

「おいヅラ、良かったなあ嘘で。」

 

 吉木が言った。「カツラぎ」は普段、吉木にそういう愛称で呼ばれている。

 

「ヅラって呼ぶんじゃねえ! てか、カツラがあったらかぶってるわ!」

 

 更に大きな笑いが空間を満たした。

 丁度、チャイムが鳴った。筆記用具を片付ける硬質な音がにわかに現れる。しかしクラスの温かい笑い声が、プラスチックがぶつかる無感情な音を、シリコンケースの様に優しく包み込んだ。

 

 松田は舌を打った。

「よし。明日は徳川について詳しくやるから。日直号令。」

 こうして社会の授業は終わった。

 

 授業の五十分間、村主、武藤、小池、三田は一言も言葉を発さなかった。

 

 

 

 三時間目は水泳だ。起立、礼が終わった直後、女子は一階にある女子更衣室へ行った。男子は、体育館に行って、ブルーシートの敷かれたステージに上り、そこで着替えた。

 

 どちらも、プールに近い位置にある。歩いて二十秒とかからない距離だ。授業後の生徒は当然濡れている。だから迅速に着替えなくてはならない。そのための配慮だ。

 

 二年六組の面々も、プールバッグを携え、男女別に然るべき場所に向かう。

 

 この中学校の体育は、一学年六クラスある中で、前半クラス、後半クラスに分かれる。分かれた三クラスずつで、一斉に授業を受けるのだ。六組は無論、後半クラスである。

 

 六組の男子が体育館に向かっている間、五組の男子と合流した。各自、仲の良い人物を見つけ、談笑する。そうしてる間に体育館の舞台上で、男子らは着替え始めていた。四組も後からやって来た。

 

 村主ら四人も、社会の授業中とは打って変わって、縦横無尽にステージ上を駆け回り、はしゃぎまわっていた。下半身を着替えている人の、巻いているタオルをめくったりと、悪戯を繰り返した。

 

 そんな中、樹村が体育館にあるトイレに行った。彼はまだ着替えていないのか、制服姿だった。トイレに向かう彼の後姿を見て、村主たち四人は、ニヤリと笑った。

 

 一目散に樹村のプールバッグに飛びついた。水着パンツを探した。けれど見つからなかった。樹村は確かに、制服のズボンを履いてトイレへ向かっていたのである。四人の顔に思案の色が浮かんだその時、吉木が武藤の頭をポンと叩いた。他の三人もその気配に気づき、上を見上げた。そこには、既に海パンと頭にキャップを見に着け、右手に誰かの海パンを持ち、左手に白い紐を持っていた吉木が、破顔して立っていた。吉木のキャップには、青いゴーグルが付けられていた。

 

 オォ、と四人は歓声を上げた。周りはその声に気づき、声のした方向へ顔を向けた。一つのプールバッグの周りに、下半身にタオルを巻いた体育会系の四人が座って固まり、そんな彼らが一様に、着替え終わった吉木の持つ、海パンと白い紐を見つめている。そんな五人を、不思議そうな表情で周りは見つめた。

 

「何やってんの?」訝しそうに葛城が尋ねた。彼は上半身裸で、下半身にタオルを付けている。

「わからないのか、ヅラよ。ガイジちゃんの下半身を纏う物に付いていた、腰の締め付けをコントロールする紐を引き抜いたのさ。」

 身長も高く、肩幅が広く、筋肉もしっかりついた体格で、吉木は葛城を見下ろして言った。葛城も中学二年生にしては高い方だが、吉木には及ばない。吉木の眼の辺りに、葛城の頭がある。

「ああ、そう。・・・お前らさ、いい加減にやめとけよ。」

「やめるって、何を?」吉木は両手に持っていた物を、真下に落とした。

「樹村のいじめ。」

「やめさせて欲しいの? みんな喜んでるのに。」

「お前がそういう雰囲気を作ったんだろ? クラス連中を巧くコントロールして。俺も最初は巻き込まれたけどさ。流石にこんなキツい仕打ちは良くないって。」それからこう言った。「樹村が目立つからだろ? こういうことをするのは。」

 吉木の発する雰囲気が変わった。

「やめさせて欲しかったら、今日の六時間目にシンショウを公開リンチにするから、そこで俺を止めてみろ。」

 冷酷な目で葛城に言った。さっきまでの破顔した顔は消えて、無慈悲で、軽蔑するような顔つきだった。

 その顔を見て、葛城は一瞬、目を伏せた。しかしそのあとすぐに、外からはあまり黒目が見えない細い眼で、吉木を見た。

 

「おい、お前にいじめをやめさせる権利があるのか?」

 眼にグッと力を込めて、吉木が言った。

 その眼で体を貫かれた葛城は、思わず目線を床へやった。完全に目を逸らした。

 すると急に、吉木の眼が優しくなった。

 

「ヅラ。道を踏み違えるなよ。ターゲットが樹村からお前になるぞ。ヅラは学力以外でもまあまあ頭が良いし、気も配れる良い奴だ。皆からも好かれてて、クラスでは欠かせない存在だ。そんなお前をいじめるのは、俺も心苦しいんだ。」

 葛城は、少し驚いたように目を丸くした。しかし直後、すぐに目を細めて歯ぎしりした。そして、回れ右して歩きだし、吉木の前から消えた。

 出し抜けに、トイレのドアが開いた。ステージと反対方向にあるトイレの入り口から、樹村が舞台の方向へと歩き出した。

 樹村は、既に着替え終わっていた。海パンとキャップの姿で、右手に制服を抱えていた。眼鏡もかけていない。

 舞台に上がり、吉木の傍へ歩いて行った。吉木の足元にある、海パンと紐を拾い上げた。それを、自分のプールバッグの中に入れた。そして吉木と目を合わせて、言った。

「吉木君が奪った物はダミーだよ。もう海パンは制服の下に履いてたし、キャップもポケットに入れてたんだよ。残念!」

 樹村は意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

「ふーん、それで?」

 吉木は顔のパーツを一つも動かさずに、真顔で言った。

 樹村は虚を突かれた表情になった。

「ほら、これやるよ。」

 吉木はキャップにつけていたゴーグルを外して、手首のスナップで投げた。ゴーグルは、樹村の顔面に当たった。レンズの部分が彼の鼻に当たり、ゴムの部分が遅れて、ペチンとまぶたを打ちつけた。

 吉木は無言で歩きだし、自分のプールバッグの前で足を止め、中から黒いゴーグルを取り出し、身に着けた。

 

 青いゴーグルは下に落ちた。樹村は呆然と、吉木がとっくに去った前方を、しばらく見つめた。視線の先にいた他クラスの人間がそれに気づき、気味悪そうに樹村を見た。

 

 

 

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