小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑦

 

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ①

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ②

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ③

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ④

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑤

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑥

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑦

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑧

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑨

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑩

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑪

 

 

 

 平泳ぎの二往復目が終わった。

 

「はい今日は、いつもより少し早く終わったので、十分間、自由時間とします。各自で遊ぶなり練習するなりして結構です。では、自由時間開始!」

 

 西田が拡声器を使って言った。ヒャッホー、と吉木が叫んだ。何人かが、プールへジャンプし、飛び込んだ。

 

「おいてめえら! 飛び込むんじゃねえよ馬鹿野郎!」

 

 拡声器で西田が怒鳴った。キーーーー、という恐ろしく高い音が響き渡り、皆、揃って耳を押さえた。飛び込んだ人たちは、体を縮みこませた。何やってんだよおまえらあ。陸から吉木が、水の中の彼らに、からかうように言った。

 

 そんな人たちを尻目に、樹村は歩いて、一番水深の浅い岸へ向かった。浅い岸の左隅に着いたら、何の躊躇もなく水に入った。その辺りは人気が少なく、彼を含めて、三、四人ほどしかいない。

 

 彼はゴーグルを装着した。そして、十五メートル先にある、以前は女子が座っていた向こう岸を、真っ直ぐに見た。一度、顔を水に浸けた。十秒ほどで、水から顔を出した。次は頭まで水に潜った。また十秒ほどで、上半身を大気に触れさせた。そして休まずに、今度は眼の辺りまで水に浸けた後、両脚を水底から浮かし、そのまま壁を蹴った。

 

 樹村は体が伸びなかった。力が入るのか、両手を水面に平行に伸ばせず、四十五度下に傾くのだ。足も、むちゃくちゃに上下に振り回すだけで、水面をあまり叩けていない。当然、さっぱり前に進まず、体が沈み込むだけだ。足をついて、水から顔を出す。後ろを振り返る。三メートルしか進んでいない。すぐに前に向き直り、間髪入れず目まで水に潜らせ、水底を蹴った。今度は二メートルほどしか進んでいない。間を置かずに地面を蹴る。何かに憑りつかれたかのように、樹村はこの動作を休みなしで行った。

 何回目かでやっと向こう岸まで行き着いたその時には、既に彼は、七人くらいの人々に囲まれていた。その中の五人は、無論、吉木グループである。

 彼らは、やはりニヤニヤしていた。樹村は、深い溜息をついた。

「何?」

 樹村は顔をしかめながら、うんざりしたような調子で言った。

 その声を聞いた七人は、そのニヤついた表情を崩さずに、出発場の方へ泳いで行った。樹村はすぐに目まで水に沈めて、女子が座っていた岸の壁を蹴った。

 事件が起こったのは、樹村が十五メートルの行程の、約半分を過ぎたところで足をついた時だった。

「ガイジがプールでオナってたー!」

 そんな声が、水の音や話し声で騒がしい奥側から、辛うじて樹村の耳まで届いた。

 樹村は下を向いて、身に着けている海パンを見た。水に濡れて、乾いていた時よりも紺色が濃くなっていたが、それだけだった。自慰の跡など、どこにもない。

 奥に彼は目をやった。七人よりも多い数の人の群れが、樹村の方へ泳いで来ていた。

 樹村は黙って、以前男子が腰かけていた岸の方に目を戻した。目まで潜って底を蹴りあげた。

 もう一度底面を蹴ろうと樹村の脚の筋肉が働いたその時、十人以上の人々が彼の左側に、扇状に広がって立った。

 樹村はそのまま前へ進んだ。その際の樹村の、お椀を逆さにした様なフォームを見て、彼らは嘲笑した。そしてすぐに後ろを振り向き、奥の、人が集中的にいる方に向かって、叫んだ。

「ヤベえマジだコイツ! 本当にオナってたー!」

 複数人が出した大きな声は、多くの女子をも注目させた。

 そう言って彼らは、奥の人がいる方へと泳いで行った。

 樹村は顔を上げた。

 

「ガイジマジありえねえー!」「キショクワリー!」「プールがイカ臭くなるだろ!」「水に入った成分って、全体に行き渡るんだっけ。」

 

 奥では、そのような調子の話で賑わってた。

 

 樹村は奥に顔を向けた。そして、声を張り上げずに、普通の声量でこう言った。無論、その声は奥には届かなかった。

「お前らいつか殺してやる。」

 

 

 自由時間が終わり、整理体操が終わり、女子が退場した後に男子が退場した。蛇口で目を洗い、シャワーを浴びて、体育館のステージに雪崩れ込んだ。各自が急いでタオルを手にし、髪の毛や体を拭いた。

 

「おいヅラ。もうお前、頭拭き終ったの?」

 

「当たり前だろ。タオルを一秒、頭に乗せればいいんだから。」

 

「楽でいいな~。風呂とかも一瞬で頭は終わるだろ。地肌の汚れとか一発じゃん。」

 

「いやこれが意外と大変なんだよ。シャンプーの泡がたたない。」

 吉木は大いに頬を緩ませて、手を叩いて笑った。葛城も笑ったが、どこか表情が硬かった。

 

 違う場所では、村主ら四人が話している。

「いや~、相変わらず佐藤さんのボディーは素晴らしい。」「ホントだよマジ。なんだよあの胸は。Dくらいか? 畜生、揉んでやろうかこの野郎。」「太もももまたこれが・・・・・舐めてえ。太ももとその間を舐めまくりてえ!」「告ろっかな。俺、今すぐにでも佐藤を押し倒したい!」「ああ? ふざけんな。俺が先だぞ。」「もう襲わね?」「でも佐藤、大学生と付き合ってるらしいぜ。」「マジかよ・・・・。じゃあ蓮池か。」「でも蓮池は何となく、性欲処理じゃなくて、なんつーか、付き合って青春を感じたい。」「それは言える。セックスよりかは、抱きしめたり、キスしたり。」「笑いごとじゃなく、蓮池ほど面倒見、というか、笑顔が素敵、というか・・・・。なんていうの? 恋人にしたらどれだけ幸せなんだろう。」「お前、蓮池ガチで好きな感じ?」「本気じゃないけど・・・。正直、それなりに好きだわ。」「まあ、それはわかる。あと、普通に可愛いしね。」「いや、普通じゃないってあれは。容姿レベルでは佐藤も越して、学校でトップだろ。」「そうだよな。福井さんも好きになったくらいだし。」「おい、口に出すなその名前は。不快になる。」「『えー、男女混同だから、男子は色々気を付けるように。』」「お前、真似上手いな。それにしてもこの言葉は強烈すぎる。」「本当のアホだよな。」「真実のアホだよな。」「福井に気を付けて欲しいよ俺は。」「それは皆が思ってるよ。」「朝の会でも、視線がウロウロ動いてたなあ。左右だけじゃなくて、上下にも動くからな。」「胸を見たのか? 太ももを見たのか?」「あいつ三十後半くらいだっけ。よくまだクビになってないよな。教育委員会は一体何をやってるんだ。」「明日あたりに密告する?」「いや、それよりかは、俺たちがいじめて、精神病とかで入院させようぜ?」「いいね。」「俺たちのせいとかにならないかな?」「大丈夫だよ、元の悪さは福井なんだから。」「だよな~。」「セクハラ教師!」「変態教師!」「スケベ教師!」「それに俺たちは、我慢っていうことが出来るからな。福井とは違って。」「そうそう。我慢できるかできないかで、人生ってのは変わるからな。」「いや待てよ、我慢できない奴が一人いるぜ?」「誰?」「お前忘れたのか? プールで出しちゃったの、誰だっけ?」「おお! 忘れてた忘れてた。」

 

 そして四人は、キョロキョロあたりを見回して、樹村を見つけ、瞬時にニヤついた。彼らは話している間にも着替えを進めて、周りよりも早く、制服を着終っていた。

 

 樹村は、未だに海パン姿のまま、ウロウロしていた。ずっと顔を下に向けて、首を左右に動かしながら、ステージ上を歩きまわっていた。

 他の人たちは、既に制服に着替え終わって、ステージから降りて教室に向かう者も多かった。その中でも、吉木のグループが一番早かった。人がステージから降りるのに比例して、どんどんプールバッグが消えていく。しかし彼は、相も変わらず目線を下にして、首を横に動かしていた。

 

 五、六人の他クラスのグループが最後に体育館を出て、残るは、海パンとキャップ姿の樹村一人だけとなった。一人しかいない体育館は、とても静かだった。舞台上のブルーシートの上に、プールバッグは一つも置いてない。結局彼は、プールから上がったままの状態で、体育館を出た。

 

 

 

 女子更衣室は、大変賑わっていた。話し声と笑い声が、一瞬たりとも途切れない。

 

 そんな中、一番早く着替え終わり、更衣室を出たのは、篠崎玲菜だった。彼女は、引き戸に一番近い場所で着替えている最中、他人と一言も口を聞かなかった。

 

 更衣室から出る際は、見事なくらいに、少しも音を出さなかった。引き戸の前にあるカーテンを、レールを一ミリも動かさずに、カーテンの端のところを少し翻して、その時にできた隙間に自分の体をくぐらせた。引き戸を、ものすごくゆっくりと引いて、彼女が出れる最小限の隙間を作り、音を立てずにそこをくぐり抜けた。扉を閉める時は、開ける時よりは早かったが、それでも恐ろしくスローであった。

 そうやって篠崎が一切音を立てずに、カーテンの向こうへ消えた様子を、蓮池千里だけが見ていた。

「こらチサト。話し聞いてんのかよっ。」

 いつまでもカーテンを見つめる蓮池を、女子四番、桜田亜紀は小突いた。蓮池は、我に返ったように、微妙に顔を上に振動させた。

「ああ、ごめんごめん。ちょっとボーっとしてた私。」

「まあいいよ。それで話の続きしよっ。」

「ああ、うん。んん~、背中ねえ~。」

 

「私はやっぱり葛城君かな~。背も高いし、ガッシリしてるし。野球やってるからかな、やっぱり肩幅が広いんだな~。で、背中の筋肉がまた! んんー、ヤバい! そそるわ~。」

 

「相変わらずだねー。アキの背中フェチは。」

「チサトは誰の背中が一番良い? もちろん、誰もいないってのは無しよ。好きじゃなくても、一番マシなのはあるでしょ。」

「ええ? も~、やめてよそういうの~。・・・・・じゃあ、吉木君で。」

 蓮池は、目を少し泳がせながら言った。

「おお、鉄板できたね。・・・まあ、私も本来なら吉木君なんだけどなあ。」

 桜田は、ため息をついた。

「え? なにそれ。どういうこと?」

 蓮池は、にこやかな笑みを浮かべて、好奇心を面に出して聞いた。その笑みの、微妙にぎこちないことに気付かない様子で、桜田は言った。

「実はね。私バレー部でしょ。それで男子バレーの連中ともよく話すわけなんだけど・・・。そいつらの一人が言ってた。吉木祐太がある女子と一緒に歩いて、ある電気の点いてない一軒家に、一緒に入ったって。吉木君の家はお金持ちだから、一軒家どころじゃない規模じゃない? チサトも前、写真見たでしょ? だから、一緒に歩いてた女の子の家だと思うんだけど。」

 

 蓮池は、笑みを更にぎこちなくさせた。少し眼を潤ませながら、再度尋ねた。

「その女の子って、誰? 私の知ってる人?」

 

 桜田は、蓮池の質問に頷いた。そして周りを見渡した。まだ更衣室からは、篠崎玲菜しか出ていない。しかし桜田は見渡した後に、「よし」と小さく言い、蓮池の耳に口を近づけた。

 

 

 

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