小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑧

 

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ①

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ②

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ③

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ④

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑤

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑥

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑦

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑧

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑨

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑩

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑪

 

 

 

 四時間目に水泳をするらしい、二年の前半クラスの連中と、樹村はすれ違った。廊下を歩く女性教師とすれ違った。話しながら歩く、三年生の男子や女子とすれ違った。一年生ともすれ違った。中学生に出会った時は、樹村は必ず笑われた。先生に出会った際は、どうかしたの? と声をかけられた。中学生と会った場合は、彼は俯いて顔を赤くした。女性教師と会った場合は、いや、何でもないんですと言った。人と遭遇したら、その度に歩くスピードを速めた。どんどん加速して、最後はほとんど小走りで、二年六組の教室に突入した。

 

 上半身裸でキャップをつけたままの樹村を、クラスの人たちは、大爆笑で迎えた。笑うだけじゃ足りないのか、手を叩いたり、机や壁を殴ったりしていた。

 

 笑い声が治まった後も、男子たちはほぼ全員、ニヤニヤ笑って樹村を見ていた。女子たちの一部は、冷たい視線を樹村に浴びせた。

 樹村の机の周りには、人だかりができていた。

「ねえねえ、俺のプールバッグ知らない?」

 樹村が問うた。それを聞いた男子らは、何故か、激しく笑い転げた。その様子を見た樹村は、唇を小刻みに震わせた。

 

「だから知らないかって聞いてんだよ!」

 

 今日、初めて樹村は、声を荒げた。紛れもなく、憤怒の形相だった。

 しかしクラスの人々は、怯えた様子を全く見せなかった。相変わらずヘラヘラ笑っている。

 そんな中、樹村の席の周りにいた吉木が、いきなり振り返って、樹村に歩み寄った。

「何でお前が知らないんだよ!」

 

 吉木が、少し声を張って言った。これには、クラスが沈黙した。

 

「俺はお前のことを馬鹿だとは思ってたけどさ、これほどまでとは思わなかった! おいガイジ! 自分の席を見てみろ!」

 

 今度は吉木が憤慨しているようだった。樹村は、クーラーの風に身を震わせながら、最後尾の机の後ろを回って、自分の席へ向かった。

 

 自分の席のありさまを見た樹村は、顔をしかめ、目を強くつぶり、天井を仰いだ。

 

 少し椅子がはみ出している、樹村の机の周りを、床に置かれた衣服らが、半円状に囲んでいた。

 

 机の前から反時計回りに、Yシャツ、制服ズボン、肌シャツ、巻きタオル、吉木が紐を抜いた海パン。

 更に、椅子の背もたれには、樹村のトランクスの下着が、布団の様に干されていた。トランクスは、真上に吊られている扇風機の風に当たって、時折ゆらめいた。

 

 樹村は、顔面蒼白になった。そして黙って、背もたれの上の下着を手に取り、尻を乗せる部分にあったプールバッグの中に入れた。

 

 その時、教卓のところで複数の女子と固まっていた佐藤幸穂が、二人の女子を引き連れて、樹村に歩いて近づいた。

 

「シンショウさ、私に何か言うことないの?」

 

 樹村が巻きタオルをプールバッグにねじ込んでいた時、佐藤が言った。佐藤幸穂は、樹村の右隣りの席だった。彼女は、苛立った顔で、樹村を睨んでいた。

 

「・・・・・俺がやってないことくらい、わかるでしょ。」

 

 手の動きを止めて、樹村が言った。陰鬱な表情だった。

 それを聞いて、佐藤は般若の如く顔を醜く歪ませた。

「そんなことは関係ないんだよ! お前がやったにしろ、吉木がやったにしろ、この状況は変わらないんだよ! 着替え終わって教室に戻って、いきなり隣の椅子の上に男のパンツがぶら下がってるのを見た私の気持ち、想像してみろ! ふざけんじゃねえよ馬鹿ヤロー! どっちがやったにせよ、最終的に悪いのはてめえだろうが!いじめられるのが悪いんだよ! お前が気持ち悪いからいじめられるんだろ! 気持ち悪くなかったらいじめられねえだろ! いじめられるだけならいいけど、そのせいで他人に迷惑かけんじゃねえ! いや、迷惑かけてるからいじめられるんだろうが! 馬鹿ヤロー! 死ねクソガイジ! 席替えでてめえの隣になった日から、学校休まなかった私が馬鹿だったよ! さっさと転校するか不登校になるかなっちまえ!」

 

 金切り声で佐藤は叫んだ。教室内は騒然とした。佐藤は途中から涙目になって、怒鳴り終わったあと、声を上げて泣いた。周りの女子二人が、佐藤を慰めた。しかしなかなか泣き止まない。二人は樹村の方を向いた。恐ろしいほどに冷酷な表情だった。

「ねえねえガイジ。何でまだ死んでないの?」

 

「うん。早く死にな。皆、喜ぶよ?」

 そう吐き捨てた。そのあと、二人は佐藤を囲んで、樹村の前から歩き去った。

 樹村は眼を歪ませて、地団駄を踏み、しきりに歯軋りをした。凄まじいくらいに、悔しそうだった。

 

 

 そこへ、吉木が突然現れた。

 

 

 怒りに燃えた表情で、樹村の前に歩み寄った。

 樹村は、怒り、悔しさ、悲しさの入り混じった、複雑な表情になった。

 吉木は何の予告もなく、樹村のみぞおちに、右拳を入れた。

 樹村は、両手で腹を押さえ、うずくまった。

 そして吉木は、まだ床に落ちているYシャツと制服ズボンを、両足で、何度も、何度も踏みつけた。白いYシャツには薄茶色の足跡が、黒い制服ズボンには白い足跡が、無数についた。

 

 

 

 樹村が廊下を歩いていたら、チャイムが鳴った。

 海パン、キャップの姿でプールバッグを肩にかけて、汚れだらけの制服一式を持って、俯いて歩く彼を笑っていた連中が、バタバタと教室に入って行った。

 前から英語教師の徳永が歩いてきた。彼女は樹村の姿を見て、目を剥いた。

「そんな恰好で一体、あなたは何をしているんですか。早く自分の教室へ」

 

「うるさい!」

 廊下まで響いていた、三階の各教室の話し声が、停止した。それほど大きな声だった。徳永は、激しく驚倒した様子だった。

 

 そのまま彼は歩いた。廊下の中央に引かれている線をずっと見つめる彼の眼は、とても哀しそうだった。

 男子トイレに入り、個室のドアを開け、鍵をかけた。

 個室の壁に額をつけた。

 その壁に右手の爪をたてた。爪の先が真っ白になっていて、ものすごく力がこもっているのがわかった。

 

 その右手を、爪を立てたまま下に降ろした。ギギギという、聞き心地の悪い音が響いた。

 ひっかくと同時に、顎に力も入れていた。歯が埋もれるのではと思うほどに、強い力であった。

 

「ググググギギギギ。く、く、く、く、く、く、く、く、く、く、くー。」

 

 口から、そんな音を漏らした。

 

 唐突に爪を壁から離し、そのまま手を握って、壁に振り下ろした。

 

 しかし彼の腕の筋肉には、強いブレーキがかかっていた。ドウ、という弱々しい音が、個室内に虚しく響いた。

 

「我慢だ。昼休みまで、あともう少しだ。」

 

 

 

「うわあ!」

 

 吉木がいきなり声を上げた。同時に、廊下からする声も無くなった。「うるさい!」という樹村の声が轟いたあとである。教室からは『うるさい』と正確に聞こえず、「フルヒャー!」という、文字にすると猫の鳴き声みたいな不可解な言葉だった。静まった理由は、勿論、その声量の大きさである。

 

 二年六組も静かになった。ちなみに、六組全体の喋り声が途絶えるのより、吉木が声を上げる方が、コンマ一秒、早かった。

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 

「ねえ、今の声何?」

 桜田亜紀が口を開いた。

「なんか、めちゃくちゃ大きかったよね。」

 他の女子が返した。その二つの会話が引き金となり、教室の中に話し声が、ミョウバンの溶けた水溶液を冷やしたら、続々と再結晶するようにだんだんと増えてきた。その話のタネは大抵、さっきの大きな声のことについてだった。

 

「誰だろう。」「ガイジかな。」「そうじゃない? 障害者っぽかったもん、さっきの。」「フルヒャー!」「そうそう、そんな感じ。」「もしシンショウだったら、キショイよね。」「うんうん。寒気がするわ~」

 

 桜田亜紀のグループの会話である。その中に、蓮池の姿はない。それどころか、教室全体にいなかった。

 男子はその頃、吉木の周りに群がっていた。

「吉木、なんで叫んだ?」「え、いや、めちゃくちゃでかい音がして。」「いやまあ、そりゃすげえ大きかったけれども。」「いや、ちょっと待て。逆にお前らに問うけど、怖くなかった?」「びっくりはしたけど、怖くは無い。」「マジか。お前ら、神経が丈夫だな。だからこんなにエロいのか。」「いや、それは関係ない。それよか、見つけてしまった、吉木の弱点。」「案外、ビビリ症。」「ちっ、バレちまったか。」「あれ、否定しないの?」「いやこういうのは、隠さない方がいいかなって。」「おお、なんか賢明というか、潔いっていうか。」「イカすだろ?」「いや、そこまでは褒めてない。」「俺さ、本当にそう、ビビりなんだよなあ。お化け屋敷とか、暗い場所とかホント無理。だからお前ら、俺を遊園地に誘うな。」「男は誘わん。女を誘う。」「そうきたか。」「それにしても、吉木にもカワイイとこあんじゃん。何だよ、俺とは違う世界の人間かと思ってた。」「まあ、その認識は間違ってないけどね。」「いやいや、そこは譲ろうよ。」

「コラコラ、お前ら静かにしろ!」

 教室に入った、美術の井上教諭が怒鳴った。

 

 

 

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