小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑩

 

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ①

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ②

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ③

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ④

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑤

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑥

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑦

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑧

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑨

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑩

小説『中学生の日常 ~二年六組編~』 ⑪

 

 

 

 樹村哲哉は、ABCスープの入っている食缶と自分の机を、往復した。

 

 彼は、食器に並々盛られたABCスープを、ズルズルと盛大に音を立てながら、食べ漁った。犬の様に、汚い食べ方だった。横にいる佐藤幸穂は、目一杯、眉を吊り上がらせて、心底不愉快そうな表情を、いつまでも崩さなかった。

 

 樹村はスープの食器を空にした。その瞬間、ガタッと椅子を後ろに引いて、硬く、しかし早く、挙動不審に立ち上がった。

 

 その様子は、教室内で大変目立った。

 

 他の生徒は話を一旦止めて、一斉に樹村の方を見た。彼らが樹村を見る眼は、明らかに、人間以外の有害なものを見ている時のモノだった。

 

 樹村は立ち上がったあと、すぐに歩き出し、配膳台に辿り着くと、スープの食缶のおたまを手に取り、中身を掬った。その際、ステンレスが擦りあう時に出る音が、教室に響いた。

 

 樹村は自分の席に戻った。溢れんばかりに盛られたスープを、獣のように食した。すぐに、スープは樹村の体の中に消えた。

 

 すかさず、樹村は立ち上がった。スープの食缶に直行した。おたまを持ち中身を掬った。ステンレスが摩擦する音が、先ほどより頻繁に起こり、空間に伝わった。樹村は、食缶の縁を、両手で持ち上げた。そして、両手首を手前に、少しずつ捻った。

 

 当然、食缶は斜めに傾く。中身も、重力に逆らわずに、食缶が傾く方向に寄る。地面に対しての食缶の角度が小さくなるごとに、スープは入り口に近づく。容赦なく、樹村は手首を捻った。だんだん、スープが外へ出ようとする。遂に、樹村は食缶の角度を机に対してマイナスにさせた。ABCスープは、食缶から放出されて、入り口のすぐ傍にあった、スープ用の大きさの食器に流れ込んだ。よって、食缶の中身は、全て無くなった。

 

 三田がガタンと音を立てて立ち上がった。

 

「おいガイジ! てめえ、皆のことを考えろ。お前がスープ全部食ったら、他の人が食べられなくなることくらい、ガイジのお前でもわかるだろうが! 自粛しろよバカやろ」

 

「うるせえ!」

 

 樹村の一言が、三田の長い注意を一掃した。

 

「んだとコラ! てめえいい加減にしろよクソシンショウ! こういうことをしてっから嫌われるんだよ! 理解しろやボケ!」

 

 逆上した三田が叫んだ。

「三田。わかったから静かにしろ。」

 

 吉木が言った。

 声は大きくなかったが、有無を言わせぬ、不思議な気迫がこもっていた。三田は、少し驚いた表情になって、吉木の方に顔を向け、口を閉じた。怒りの表情は顔から消えて、冷静さを取り戻していた。

 

「こんなところで怒りを発散させるな。内に溜めとけ。」

 吉木が言った。彼は、未だに顔色が蒼白だった。机の上の給食にも、全く手をつけていない。

 

 三田は黙って、椅子に座った。他の人間は、依然、沈黙している。

 

 とても居心地の悪い空気が、二年六組に漂った。

 

 そんな雰囲気にはお構いなしに、樹村は、七割くらいしか中身の入ってない、スープの食器を片手で持って、自分の席に戻った。またそれを、とても行儀悪く食べ尽くした。

 三田が声を上げた時から、このクラスの担任、福井教諭は、お盆の上の給食だけに視線を集中させていた。口は一回も開かず、声帯を震わせることも無かった。彼は自分の世界に閉じこもっているかのようだった。言い方を変えれば、クラス内での喧噪を、徹底的に無視していた。

 吉木は、三田をとがめたあと、黒板の上に掛けられている時計に目をやった。そしてそれを、ずっと見つめた。凝視した。瞬きは、一分に一度しかしなかった。その眼は、若干充血していた。

 樹村は四杯目のABCスープを食べ終えたあと、食器を載せたお盆を持って、廊下にある給食のワゴンまで歩き、食器かごに食器を入れて、お盆を置いて、そこから立ち去り、自分の席に早歩きで向かった。そして、椅子に座ると、すぐに両手を横に置いて、その間に顔を埋めた。

 教室にいる人々は、一言も言葉を発さなかった。

 

 その状態が、給食時間終了まで続いた。

 

 

 

 給食を残した人々が、各食缶に残飯を入れている。ひじきのマリネの食缶には、かなり多くの食べ残しが投じられた。

 

 配膳台に人が群がっている中、樹村は足音を立てずに、後ろの引き戸をゆっくり開き、教室を出た。

 

 廊下の空気に樹村の体が触れた瞬間、樹村は左腕を、強い力で掴まれた。ギョッとした顔つきで、彼は左に顔を向けた。

 

 樹村の腕を掴んだ張本人は、吉木祐太だった。吉木は能面の様に血の気がなく、表情のない顔で、唯一口角だけを上げて、不気味に笑っていた。血走った眼で、樹村を見た。

 

「逃げんじゃねえよ。」

 

 

 

 二十分間の昼休みが始まって、十分が経った頃。

 

「なんか、吉木君、めちゃくちゃ恐くなかった?」

 

「うん。ヤバかった。時計をずっと見てた時とか、もう恐怖だった。あんなに危ない吉木君、私、初めて見た。」

 

「ガイジはいつもよりキモかったね。今までも、おかわりはよくしてたけど、あんな徹底的にしたことはなかったよね。」

「えー、私そんなの覚えてなーい。いつもより動きが挙動不審で、いつもよりも増して気色悪かったことは、忘れたいけど覚えてるー。」

 とある一つの女子のグループが、給食の時間について話していた。他のグループも、女子、男子を問わず、給食の時の、吉木や樹村についての話で、盛り上がっていた。

 

 そんな彼らの中に、吉木ら五人と、樹村の姿は無かった。

 

 いきなり、前の引き戸が開いた。乱暴に開けられたせいなのか、ガタンという、かなり大きい音が起こった。各々は、話しを中断して、音源である前の引き戸に目をやった。

 

 そこには、松田教諭が立っていた。

 

 彼は首や目を動かして、教室中を見渡した。

 

「葛城!」

 

 唐突に松田は、大声で言った。

 

「はいい! 何でしょう!」

 

 怯えた声で、葛城は応答した。

 

「樹村はどこだ。」松田が問うた。

 

「あれ? そういえばいませんね。」葛城が、不思議そうに言った。

 

「畜生。職員室に来ねえんだあいつ。どこ行きやがったんだ。ああ、葛城、ありがとう。」

 

 そう言って松田は、引き戸をピシャリと閉めた。

 

 

 

 五時間目は、理科だった。理科の担当教師は、福井である。

 

 五時間目開始のチャイムを、生徒は、爆発的な話し声を教室内に充満させながら聞き流した。誰一人、席につかない。その中には、吉木ら五人の姿もあった。吉木も、四時間目の時からは想像も出来ないくらいに、血色の良い顔で、満面の笑みを浮かべて仲間と話していた。

 

 しかし、樹村の姿はない。

 

 福井がクラスに入ってきても、話し声は全く治まらなかった。

 

「おい、お前ら、静かにしろ!」福井が怒鳴った。しかし、どこか自信なさげな、弱々しい声だった。

 

 吉木が福井の方に目を向けた。

 

「静かにしませーん! イエー!」吉木が声を張り上げた。

 

「イエー!」吉木以外の生徒たちが、全員揃って言った。

 

 福井はため息をついた。

 

「えー、蓮池さんの自宅から連絡がありました。体調が悪くなったので、早退だそうです。あと、あいつがいないな。まあ、いいか。」

 

 福井は独り言のように言った。

 

「はいそれでは、授業を始めます。第一分野の教科書の、三十六ページを出してください。」

 

 彼はそうつぶやいて、黒板に白い文字をチョークで書いた。ノートを開いて黒板を見つめる生徒は、篠崎や真壁や葛城ら、六人ほどしかいなかった。そんな状態の授業を、福井は五十分間、一度も声を張り上げずに、ボソボソと続けた。

 

 

 

 授業終了のチャイム鳴って、福井が教室から出ても、二年六組の喋り声は、大きくも小さくもならなかった。相変わらず、クラス内は、鼓膜が破れそうなくらいに騒がしかった。

 

 そんな中、吉木は村主ら四人と、地べたに座って、円を作って顔を合わせていた。

 

「俺がヤるから、お前らは見てるだけで大丈夫だ。皆、汚い仕事を手伝わせて、悪かった。」

 吉木はそう言って、頭を下げた。

 

「いやいや、そんな、頭なんて下げるなよ。」村主が言った。

 

「汚い仕事をやるだけの価値はあったから、全然大丈夫だ。」武藤が言った。

 

「楽しそうだよ、吉木。少し臭かったけど、俺は満足だ。」小池が言った。

 

「ヤバい! ガイジの醜態が待ち遠しい。」三田が言った。

 

「皆、ありがとう。まあ、ガイジが教室に来なきゃ計画は終わりなんだけどな。でも、あいつなら、気色悪い意地を張って、絶対にあの姿で入って来るはず。五時間目はとうとう来なかったけど、六時間目なら現れると思う。多分、五時間目は動く気力さえなかったんだろうよ」

 

 吉木が喋ってる最中に、六時間目のチャイムが鳴った。

 

 

 

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