harmony

気弱な人が気弱なまま生き抜くことのできる社会を実現するために、小説を書くさとり世代のブログ

今年、自分が 『無知』 だということを知ることができました

今年ももうすぐ終わりです
みなさん、いかがお過ごしでしょうか
色んな出来事があったと思います

僕にとってこの一年は、人生で最も実りある、とても充実したものでした。

去年、「みんな、自分の都合で生きている」と悟り、復讐心を抱くこと自体お門違いであると、心から気づけた。
大きなコンプレックスが一つ消え、心の鎖がほどけ、人生を生きることが一段と楽になった。
そのときの、最高に晴れやかな気分になれた「悟り体験」を、また味わいたいと思った。
それからの毎日。
自分の気づいたり考えたりしたことを残さずメモしたり、自己分析をしたり、色々考えたりして、精神的無理を厭わず、妥協せずに努力した。
あのときのような、「疑いようのない真実」を、根本から、心の底からわかる体験をしたいと、なりふり構わず思考を突き進めた。
今年に入って予備校に入ったが、ストイックにやっていた思想努力と受験勉強の両立は、僕のストレス受容量を超えた。
夏休み、考えすぎて頭の回転が異常に速くなり、暴走超特急のような冷静ではない脳ミソで、それでも「人間についての思考」を続けていたときに、至ってしまった、「殺人をも肯定できる思想」

そんな考えに至ってしまったとき、とんでもない、ものすごい恐怖が僕の体の中から湧き出た。

そして気づいた。

「言葉を使えば、どんなことだって否定できるし、肯定もできる」
「言葉を使えば、少しのボキャブラリーと考える時間があれば、どんな思想だって組み立てることができる」

僕は心から反省した。
「なにやってんだ俺は。おれがやってたのは、ただの思想の積み木遊びじゃないか。俺なんかが、俺ごときの人間が、人類を管理しようと思想をこねくりまわしたりして……身の程を知れよ!」

足許を見れば、僕はコミュニケーションもできない、友だちも少ない、恋愛もしたことない、ちっぽけな人間だった。自分が上手く生きれてないのに、人類を救おうなんて何言ってるんだ俺は!
色んな思想を量産していく中、「俺、教祖になれるんじゃねえの?」 とか思ってた自分のあまりもの馬鹿さ加減に気づけた。

「意見は、自分の経験から抽出しなくてはいけない」
そう悟ってから僕は、行動的な人間になろうと決めた。

大学受験を打ち切って一人暮らしを始めた僕は、色んな「初めて」に積極的に挑戦するスタンスで、日々を生きようと心掛けました。
出不精の自分から脱皮したかった。
その結果、これまでの籠りがちな人生とは一線を画した、一瞬も退屈しない、とても楽しい日々を送れました。

これも、僕と関わった全ての皆さんのおかげです!

何でもわかっていると思っていたが、何にもわかってなかった。そう気づいたときから、僕は切にこう思います。

「自分以外師匠」

全ての尊敬できるみなさん、これまで、ありがとうございました!
そしてこれからも、よろしくおねがいします(*^^*)