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harmony

これから小説家になる人が、悟ったことを書いています。

欲望に流されやすいイイ人への韓氏意拳 ① ~あなたに必要なのは、本当に「自分に打ち勝つこと」なのか?~

 

我慢すべきことを、どうしても我慢できない人たち

 目の前にお酒があると、たまらず飲んでしまうアルコール依存症の人がいる。

 その人は、お酒の飲みすぎで肝臓をこわしながらも、なぜアルコールに手を伸ばしつづけるのだろう。

 

 お酒が好きだから飲むのかもしれない。しかし話を聞いてみると、意外とお酒自体は何リットルも飲むほど好きではないとわかるかもしれない。

 

 また、先生や親からとがめられるのを聞かず、校則を破りつづけ、不良行為をつづける若者がいる。

 なぜその人は、ケンカで体を傷つけ、年上の人から叱られて心を傷つけながら、反抗をやめないのか。

 

 殴りあうことが好きだからケンカをするのかもしれない。だが、話を聞いてみると、ケンカや喫煙はポーズで行っているだけで、その人の心にあるのは他のことかもしれない。

 

 

 このように、我慢すべきことが、我慢できない人がいる。

 ギャンブルが我慢できない人、食事が我慢できない人、色恋が我慢できない人・・・さまざまいる。彼ら彼女たちは、我慢ができないために借金を重ねたり、生活習慣病に苦しめられたり、誰かから蔑まれたり、虐げられたりしている人もいる。

 

 なぜ、自分を傷つけ、身を崩してしまうことがわかっているのにもかかわらず、我慢ができないのだろう。

 彼ら彼女たちには、周りの多くの人が見て思うように、欲望に打ち勝つ「克己心」なるものが足りないのだろうか。

 

 ぼくは、そんな彼ら彼女たちが、我慢をすると誓う場面を何度か見たことがある。

 思いつめた表情。眉に力が入り、目に真剣な光が宿っている。頑固な意志がにじみ出たあの表情に、嘘はなかったはずだ。

 だがいつしか、同じことをくりかえしてしまう人がいる。ふだんの生活を見ても、真面目に人生を生きていることは疑いない。しかし、我慢すべきときに、どうしても我慢せず、流されてしまう・・・。

 

 ぼくは思わず疑問を抱いてしまった。

 

 彼ら彼女たちに足りないのは、本当に克己心だろうか。

 原因は、べつの何かにあるのではないだろうか。

 

 この原因を考えた結果、理解したのは、この『原因』はどうやら文字にできるものではないらしいことだった。

 無理やり文字で表そうとすると、ぼくらは大切な何かを損なってしまうだろう。

 

 そのために、これからぼくの話をさせていただきたい。

 これから、ぼくの体験を話すことを通じて、ぼくの言わんとする『原因』がなんであるかを、何となく表現していく。

 

 これは、明確な概念として伝えるのではなく、何となくの形であなたに伝えることが大事だと考えてのことだ。

 ぼんやりとしたこの感覚を、あなたと共有できれば幸いだ。

 

 それでは、始めさせていただく。

 これは、ぼくのファッションに関する話だ。

 昔、ぼくは服に全く興味がなかった。しかし、ある理由で服に目覚めたぼくは、自分に似合う服装を求めて服屋に顔を出しまくり、完全に買い物中毒になってしまった。

 

 なんとなく予感されたかもしれないが、そう・・・。

 この話は、笑い話である。

 

 

夜明け前 ~引きこもりがデビューしようと頑張ったら、服の買い物が止まらなくなった話~

 

 オシャレになるのを目指す前、――つまり、通っていた県立高校を辞めて、通信制の学校へ転校し、日々のほとんどを家で過ごしていた17歳のとき――ぼくは、ファッションに全く気をつかわないキバカジだった。

 

 そもそも当時は、パジャマのまま自室に寝ころがって本を読んだりと、1日の大半をパジャマですごし、ほとんど私服を着なかった。

 しかし、たまに「岡本太郎美術館行こうかしら・・・」などと思って外に出るときは、パジャマで出るわけにはいかないので、(いやだなあ・・・)と思いながらも、しぶしぶ私服を着た。

 そのときの服装はもうおぼえていないのだが、当時の印象を他人に訊くと、きまってこんな言葉が返ってくる。

 

「オタクっぽかった」

 

 ぼくの服は、母がダイエーユニクロファッションセンターしまむらなどで買ってくれたもので固められていた。

 なぜなら、ぼくが自分で服を買わなかったからである。

 面倒くさがりだったわけではない。服に全く興味がなかったのは理由の一つではあるが、それだけじゃない。

 

 一番の原因は、ぼくに「オシャレ」がどういうものであるか、全くわからなかったことにある

 

 服屋に行くと色とりどりのシャツやパーカー、パンツが並んでいるが、ぼくはそれを見ても、1ミリも心がときめかなかった。

 オシャレな人は、並んでいる服を見て、「あっ!このシャツいい!」「このパーカーもいい!」、「このパンツはイマイチ!」などと思って楽しい時間を過ごすのだろうが、ぼくはどの服を見ても「ああ、これは服ですね」以上の感想を抱くことができない。

 「カッコいい!」や「かわいい!」などの感情が一切涌かない。

 

 きっとオシャレな人の心の中には、目の前の服が、はたしてオシャレであるのか否かをブザーで知らせてくれる、「オシャレセンサー」なるものが搭載されているのだろう。

 しかしぼくには、どうやらそれが生来搭載されていないらしいのだ

 

 感性がニブすぎるのだろうか。そんなぼくにとって、服屋は退屈な場所でしかなかった。

 たとえるならば、部活とテストと恋で頭がいっぱいの女子中学生が、戦前に出版された中国古文書のそろう神保町の老舗古書店に入ったときと同じくらい退屈した。

 

 そんな息子のために、今まで母がしぶしぶ服を買ってくれていたわけなのだが、家計を気にする母は当然安い服しか買おうとしない。また、着る本人が買い物に付き合わないので、服は一回も試着しないまま選ばれることになる。ふつうに考えて、オシャレなコーディネートができあがるわけがない。

 

 結果ぼくの服装は、周りから「ダサい」と評された。

 ちゃんと学校に通っていた中学生時代、同級生とたまに放課後に遊ぶときがあった。ぼくは当時から友だちの少ない、テレビゲーム好きのインドアメガネ少年だったのだが、集合場所でそいつが来たとき、ぼくの服装を見て決まってこう言った。

 

「ダッセー!(笑)」

 

 ぼく自身、自分の服装をオシャレだと思っていない。また、べつにオシャレでなくともどうでも良かった。

 服なんて着れればいいと思っていた。

 しかし、ダサいぼくを心の成熟していない思春期軍団は放っておかない。何度も何度も服装のダサさを笑われ、いつからか、ぼくは自分の服装に強烈な劣等感をいだくようになった。

 自分の服装のダサさを、ものすごく気にするようになった。

 

 自分の外見に自信をうしなった。

 それからだろうか、ぼくが顔を上げて堂々と街を歩くことができなくなったのは・・・。

 

 17歳で引きこもりになり、1日のほとんどをパジャマで過ごしていたぼくは、岡本太郎美術館へ行くために私服にきがえて、自宅から最寄り駅へ向かった。その際、駅前の繁華街を通らなくてはいけなかったのだが、ぼくの地獄はここから始まる。

 

 建物の古さを派手な装飾で隠した商店ビルが立ち並び、車が渋滞しエンジン音と排気ガスが立ち込める車道。往来のはげしいスクランブル交差点。そんな、ごみごみした印象しか与えないものたちが、この繁華街のトレードマークだった。

 そこにはスーツ姿のサラリーマンや、買い物に出かける主婦、おしゃべりおばちゃんやヨボヨボじいさん・・・など、いろいろな人が行き交っている。

 

 騒音のニガテなぼくは、嫌な気持ちでその中を歩く。すると、前から若い人たちがワイワイ談笑しながら歩いてくるのが見えた。

 彼らは大学生くらいの歳で、ぼくよりオシャレな雰囲気をかもし出している私服をまとっていた。あるいは、ぼくと同い年、または年下の学生が、オシャレに制服を着こなしていた。

 

 彼らを見た瞬間、ぼくはすぐに目をそらして、視線を地面へ向けた。

 そして、被害妄想のスイッチが作動する。

 

 ――おまえらどうせ、ぼくの服を見て、心の中で(ダサいなあ!)と笑ってバカにしているのだろう!

 

 周りにいる、ぼくよりオシャレな雰囲気の人たちの目が怖かった。

 学校の同級生から、服装を笑われた記憶がよみがえる・・・。

 

 実際にぼくは、ある日前から歩いてきた色あざやかな服装のチャラい男に、指をさされ、「あいつダサくね?」と隣の同じような服装の男と共に笑われたことがあった。

 隣の男は一通りゲラゲラだらしなく笑ったあと、

「おい、そんなこと言うなよ!かわいそうだろ?」

 と、全然かわいそうだと思ってなさそうな口調でニヤニヤ笑っていた。

 

 ぼくの心は傷つき、劣等感の黒い沼にずぶずぶと沈んでいった・・・。

 

 (みんな、ぼくの服装をバカにしている)

 この妄想は、ぼくが電車を乗りついで岡本太郎美術館に着き、館内で『太陽の塔』の制作映像を見ているときも、『坐ることを拒否する椅子』にすわって顔をしかめているときも、ぼくを悩ませた。

 周りには、ゆっくり歩きながら壁に飾られている絵を見ている人など、べつにぼくに注目している人はいない。しかし巨大な被害妄想をかかえたぼくは、周りの視線が気になって、落ちつかない。

 

 (あそこで絵を見ている、黒い服装のあの女の人も、ぼくの服装を笑っているにちがいない・・・)

 心配なぼくは、自分がどう見られているかが気になりすぎて周囲をおろおろ見回した。また、緊張のしすぎでやたら挙動不審な動きになってしまう。

 

 ぼくが歩くために片足を前に出すときも、美術館内にあるカフェでオレンジジュースを飲むためストローに口をつけようとしているときも、ぼくの服装がダサいせいで、ぼくの動きの何もかもが笑いのタネになっているような気がした。

 ぼくの一挙手一投足が笑われているような気がする。何をするにも周りの目が気になって、心はいつも不安で、家に帰るとドッと疲れが襲う。

 

 楽しいことなんて、なんにもない・・・。

 

 そんな無力なぼく自身に怒りを覚えはじめたのは、18歳になり、通っていた予備校を諸事情あってドロップアウトし、一人暮らしを始めた秋だった。

 

 

 →   ②引きこもり、反撃に出るの巻   へつづく