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嫌いな自分を、嫌いなまま肯定してもらうためのメディアコンテンツ

異文化にて ~韓氏意拳体験記~ ①

 

目次

異文化にて ①

異文化にて ②

異文化にて ③

異文化にて ④

異文化にて ⑤

異文化にて ⑥

 

 

 

 服が、好きではなかった。特に私服が苦痛だ。何を着れば良くて何を着れば良くないのか、さっぱりわからない。何がシンプルで、何が凝ったデザインなのかもわからない。

 

「ダッセー!」

 

 中学時代、たまに、クラスメイトから制服ではないぼくの私服を見られたときは、高確率でそういう風に囃された。気にしやすい僕は、いつしか、私服を着て人前で歩くとき、顔を上げられなくなった。

 

 通信制の高校に転学して家に引きこもっていたとき、太陽の塔で有名な岡本太郎の作品がそろっている、岡本太郎美術館へ何度か通った。「誰にでもかけがえのない個性がある」「その人そのままで芸術だ」というような内容の、岡本太郎の言葉の数々にいちるの希望を見いだしていた。

 

 外へ出るためには、パジャマから私服へ着がえなければならなかった。

 

 家から最寄り駅へ向かった。

 

 駅前の繁華街の、騒音と排気ガスにはいつもうんざりしていた。色とりどりの服で飾った男女が、僕とすれ違ったり、遠くで同じ着飾った人間と何やら話したりしていた。その人たちへ目をやることが怖かった。僕は、地面を見ながら歩いていた。歩いていると、荒んだ気持ちに呑み込まれて、沈んだ気持ちが劣等感をあぶり出した。なぜ僕は、外に出て、街を歩かなくてはならないのだろう。

 

 右足から歩き出すとき、その、右足の出し方が正しいものであるのか、自信が持てなかった。美術館にある、ミュージアムカフェに勇気を出して入った。ジュースをオーダーして、ストローに口をつけようとした。今の僕の、ストローの口のつけ方が、周りから見て気持ち悪いものとなってしまっているのではないかと不安になった。どのような口のつけ方が正しいのかわからなかった。知らない誰かのジャッジに落ちつかなかった。

 

 何が正しい在り方であるかなんて人によって意見はまちまちで、そのような指標はあってないようなものであることを知識として頭の片隅にインプットしてはいた。

 

 僕の場合、自分の体の動かし方を正しいと思えるようにするために努力しても、どうも、どんどん、破滅的に変な振る舞いへなっていくことが、経験からわかっていた。

 

 最も心地よく一息つけたのは、誰の視線も気にする必要がない家の中だけだった。

 

 やっぱり、服装をどうにかした方が良いだろうか。

 

 なぜ、そんな必要のないことにお金をかけなければいけないのだろう。服は着れたら良いものであり、見た目を凝ることは、生きていく上で必要のないことだと思っていた。また、服を買うことで現状を改善しようとすることは、これまで僕を傷つけた文化に迎合している納得のいかない道すじだった。何で、周りの勝手な価値判断に、こちらが身をふりしぼらなければならないのだろうか。

 

 ただ、こんな状況に追い込まれている自分をぶっ壊してやりたかった。

 

 一人暮らしを始めた当初、手許に、500万円ほどの貯金があった。僕の将来のために、両親が少しずつ積み立てていた、四年間の大学でかかる学費を賄えるくらいの額で、本来、大学の学費に当てられるはずだったが、一人暮らしを始める際、僕のものとして引き継がれることとなった。

 

 いざ服を買う段になっても、自分の服装の良いところと悪いところ、自分の好きな服と嫌いな服がわからなかったから、闇雲に買うしかなかった。2014~2015年。GAPで1日で10万円ほど買ったり、クレジットカードの月10万円の上限にしばしば届いたり、1年で50から100万円ほど服を買うことに費やした。

 

 僕は、自分だけの物差しがよくわからなかった。

 

 色彩に関する感性をつけたかった。また、人や、情報や、排気ガスが渦巻いている場所からは、なるべく離れていたかった。山や森の中にいる方が、街にいるよりも心地よかった。バイトのない日は、青空の下、自転車を立ちこいで、近くの山と森のある場所へ、カメラを携えて向かった。整備された登山道を歩くことが楽しかった。深い緑の森の中を、ぼんやりと眺めていた。何となく、良いと思えた情景があったら、カメラを顔の前に持って、素人なりに良いと思えた構図を探して、ここだと思ったところで、右手の人差し指の先に、渾身のエネルギーを込めて、シャッターを切った。綺麗に撮れたと思った写真が、パソコンのデータファイルに積み重なっていき、家の中でそれらを眺めてみては、これ以上ないと思えるほどに幸せな心地よさに浸っていた。

 

 主に2014年はコンビニのバイトをしていて、2015年はライターのバイトをしていた。

 

 ライターのバイト終わり、勤務時間中に仕上げられなかった原稿のつづきを持ち帰って書こうと思っていた。

 

 ふと、家以外の場所でやってみようと思って、駅前にある、全国チェーンの喫茶店へ入ってみた。ふだん、滅多に立ち寄らない場所だった。こういうところでパソコンを持ち込んで何か作業をすることは生まれて初めてだった。

 

 店内を彩る、夕方が夜になっていく寸前の景色を再現したような照明の絞り具合に浸かっていたら、何だか、落ちついていくようだった。何となく、高石さんの講座の会場の、薄暗いけれども、高級感のある雰囲気に似ている感じがした。

 

 注文前に席を取るために、空いている席を探さなくてはならず、店内を歩き回った。あちこちに、空いている席は見つけることができた。

 

 どの席に座れば良いだろうか・・・。

 

 たまに見つかる空席の中で、何とも言えず嫌な予感を覚える席がある。話しをしている人たちが近くにいる席に座ったら、どうしても会話の内容が耳に入ってきてしまって、原稿に集中できないだろうと思われた。また、綺麗な女性が太ももを露出させた服装で座っているテーブルの隣の席に座ったら、できれば見たくはないし見てはならないと思うのにその脚に目が移ろって、そのことに自責の念に襲われたり、僕のチラチラと移ろう視線を隣の女性は感じてどう思っているのかを想像すれば暗然とした気分となり、とても原稿どころではなくなってしまうだろうと思えた。

 

 しかし、むしろ、そこに座ることで苦痛に耐えて、その先から何かを見つけ出さなければならないという衝動が自分の中から湧き出てきた。説明しがたい、自分でも理解できない、原因不明の吸着心だった。そして、今までの自分だったら、そのままある種の使命感に駆られて、嫌な予感のかもし出されている席へ突入していったことだろうと思った。

 

 高石さんのカウンセリングワークショップが思い出された。今いる喫茶店とは少しだけ違う、薄暗くて、眠気を誘われてしまうようで、落ちついた雰囲気のあの会場で、高石さんは最初のカウンセリングのロールプレイをやる人として、僕と、他の講習生4人のうちの1人を選出した。最初は僕がカウンセラー役で、もう1人はクライアント役。他の3人は会場にあるソファに座って、これから行われるロールプレイの様を見ようとしていた。

 

 カウンセリングワークショップのロールプレイで最初にやることは、クライアント役の人の話を聞くことではなかった。高石さんはまず、クライアント役の人にやさしく言った。

 

「この部屋の中で、一番心地よい場所に座ってください」

 

 クライアントが座る場所を決めたら、僕も同じことを言われて、座る場所を決めなくてはならなくなった。

 

 決して、「吉田さんはカウンセラー役なので、クライアント役の方の前に座ってください」とは言われなかった。

 

 そうなると、どこに座るべきなのかがわからなくなった。

 

 選択肢も、ヒントも、提示されなかった。会場には灰色の絨毯がただ広がるだけだった。絨毯の上の、どこに座ろうかと考えても、どこも同じ絨毯の上としか考えられなかった。イスもなければ、ちゃぶ台などの、何となく『ここで向かい合えばいいんだな』と思えるものもなかった。無限に思えるくらい茫漠とした絨毯だけが、僕へどこに座るべきかを問いかけていた。結局よくわからず、最終的には、カウンセリングの形としては一番無難であろう場所ということで、クライアントの目の前の、少し離れたところに腰を降ろさざるを得なかったような気がする。

 

 今ならわかる。同じ絨毯のテリトリーでも、淡い照明が強く当たっているところもあればほとんど当たっていないところもあるし、3人が座っているソファや、固い材質でできている本棚から遠いところもある。3人の視線から、ある程度離れて座れるところだってある。どこの地点でも、同じ場所というのはなかった。

 

 喫茶店に戻ってきた。僕は、他の席を探した。

 

 

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