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異文化にて  ~韓氏意拳体験記~ ②

 

目次

異文化にて ①

異文化にて ②

異文化にて ③

異文化にて ④

異文化にて ⑤

異文化にて ⑥

 

 

 僕は、他の席を探した。

 

 店内にはさまざまな要素があった。聞き流せるくらいの音量で流れるジャズ。コーヒーを作る音、レジに並ぶ客。応対する店員がいた。広々とした空間だった。さまざまな人たちが、大きなテーブル席や、小さいテーブル席や、カウンター席に腰かけていた。パソコンで作業をしているサラリーマン風の人がいた。シャーペンを手に勉強をしている若い人がいた。本を読んでいる老人がいた。ただじっとしている人がいた。職場の愚痴や人間関係の毒出しを延々と続けている人がいた。かなり真剣に、悩みの相談を相手に向けて淡々と話している人がいた。みんな、それぞれの都合で、思い思いの時を過ごしていた。

 

 ある空席があった。右隣に人はいなかった。左隣には、ワイシャツを着てメガネをかけた中年男性が、ビジネス書を数冊テーブルに積んで、コーヒーカップをわきに置いてスマートフォンを操作していた。スマートフォンの画面に集中していて、周りのことになど目もくれていないようだった。そこの席に座ってみた。何のストレスも感じなかった。一旦そこに荷物を置いて、列に並んでコーヒーを受け取ってからまたその席に戻ってきて、椅子に座って、満を持してパソコンを広げた。家にいるときよりも、会社にいるときよりも、作業に集中することができた。閉店までの約4時間は、本当に良い時間だった。

 

 物事に接するとき、どこかで、自分の中で心地よいと思えるか、思えないかの差があった。

 

 服を見るとき、たとえわずかでも、心が揺れる。店内の雰囲気でもそうだし、服の色もそうだが、素材がポリエステルであるか、綿であるか、それとも麻であるのか。着てみたとき、体を締め付ける感じなのか、ゆとりのあるサイズ感なのか。たとえ色がベージュでも、明るく目に突き刺さるベージュなのか、素材そのままのやさしいベージュなのか。

 

 だんだん、服を見て「あっ、なんか、いい」と思えるようになってきた。

 

 おさえられた色調、やさしい肌ざわりの生地、親近感のわく手づくり感・・・。こういう服が好きだったんだと、やっと気づくことができた。

 

 服の入った紙袋を手に持って店をあとにし、北風の吹きはじめた夜の東京の街並みを、ほくほく顔で歩いた。ほてった頬に冷たい風が当たって気持ちよかった。

 

 きっと僕は、刺激を求めてはいなかった。柔らかい印象を受ける素材や、デザインを求めていたのだった。服と触れあうことで、自分が何を求めているのかを、少しずつ、改めて確認して、感受性を洗練させていくことができた。

 

 服屋へ行くことに少し楽しみを覚えていった。そのころになると、服屋へ出入りするのも苦痛ではなく、むしろ店内の自分が好きな雰囲気に浸かることによって、心の栄養を得られる気がするくらいだった。

 

 結局僕は、心地よくない状況に耐えられるほどタフではなかったのかもしれなかった。心のどこかで服は虚飾だと思ってきたが、そもそも、虚飾をまとわないで生きていけるほど、現状の僕は、タフな心身を持ち合わせていなかった。社会は、虚飾だらけだったから、その中でサバイバルしていくためには、なるべく、擦り切れない工夫を僕はしていかなければならなかった。

 

 ぼくは、服の買い物がやめられなくなってしまった。「あっ、なんか、いい」と思えた服は、たとえ1万円でも、2万円でも、3万円でも、買わなくてはならないと思わなくてはならなくなった。もう、服は当分買わなくてもいいと理性では思っていたのに、さらに、無理やり出費をかさませていった。

 

 嫌だったことを無理につづける生活は、僕の、潜在意識下のやわらかいところを、蹂躙させつづけていた。言動のバランスが悪くなっていた。服以外でも、毎晩ファミレスで食事するなど、出費をかさませていた。バイトでもらっていた14万円の月収は、30日も持たず使い切っていた。給料日まで、定期預金を崩すことでしのぐ始末だった。

 

 そんなとき、ライターのバイト先で「今のままの君をこれ以上使うことができない」と告げられ、バイトを辞めることとなった。家に帰って、涙に暮れた。これから先、何をやっても駄目だと思った。

 

 こんな風になったのはどうしてだ? 焦りに駆らせたものに抗えなかった自分の弱さのせいか? じゃあ、そもそも僕は、なぜそんなにも弱いのだ?

 

 付きまとう、知らない誰かによるジャッジにも耐えうる服装をそろえたはずなのに、街を歩いているとき、顔を上げて歩くことができなかった。周りの目が気になって、気がつけば猫背になってしまった。なぜ、人前を、ただただ歩けないのだろうか。服をそろえることができなかったコンプレックスなんて、問題の表面的な表れでしかないのだろうか。

 

 なぜ、やりたくもないことを徹底して取り組むことで、自分を保とうとしてしまうのだろう。自分が本当に成長したいから、やっているわけではなかった。押しつけられた課題に、立ち向かって克服していく以外の対処のやり方を、行なうためには、何を、どうすれば良いのだろうか。

 

 どうやったらやりたくもないことを強制されたとしても、そのまま、自分を心地よく保つことができるだろうか。他人の勝手な要求にいちいち反応して、変えるべきところを自分にどんどん見いだして、やりたくないことを真面目に、無理して取りくんでしまう人生は、もう、くり返したくはなかった。叱られつづけたところで、タフになれるわけではなかったことに気づきはじめていた。

 

 もう、誰にも自分のことを否定されたくない。また、否定しようと思ったから、否定されてきたのだから、誰のことも否定したくない。他者のスタンスを崩そうとしたから、復讐されてきた。もう、誰にも復讐されたくない。復讐したくもない。好きな人と、好きなときに、好きなことを話して、笑って、素朴に生きていたい。誰かのスタンスを否定しなくても、自分を保つことができて、自分以外の人々を保つことのできる人間になりたかった。

 

 どうしたらそんな人間へと、少しずつでも近づくことができるのだろうか。僕は、修行をしようとする僕の根本と折り合いを付けたかった。そもそもブッダは苦行を捨てた。僕は、冷静になりたかった。周りに、細心の気配りをしつつも、ぼく自身も、しなやかに、伸びやかに、鬱憤が溜まらない日々を送ることができるような自分になっていくために、高ぶらないような自分となっていくためには、何を、どうすれば良いのだろうか。

 

 

 日本韓氏意拳(かんしいけん)学会会長・光岡英稔(ひでとし)先生は、都内の公民館の、15人ほどの講習生を全員収容して余りある広さの体育館において開催された韓氏意拳の講習会において、まず、1時間半ほど座学や体の仕組みの軽い解説をしたあと、講習生に肩幅で立つよう指示した。午前11時頃、晴天。体育館の外からは鳥のさえずりが聞こえてくる。窓より差し込む白い光が、体育館内のゆっくりとした時間の流れとぶつかる。白い光に包まれ、ポツリポツリと話をしている光岡先生の頼もしく低い声を僕は聞いている。40代半ば、19歳から十年間ハワイで武術を指導していた。ヒグマのように恰幅の良い体型。気さくな表情。深い余裕。僕は、落ちついている。

 

 そして、さらに落ちついていくこととなる。

 

 

 

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