気弱なまま生き抜くためのテロリズム

さとり世代による導火線

買い物症候群を発症し、中国武術で治そうとした3年間 ⑤ ~殴らないし、蹴らない武術『韓氏意拳』~

 

目次

① ~してはいけないことをしてしまう人びと~

② ~したくないけれども、しなくてはならない?~

③ ~できない自分を、できる自分にしようとする~

④ ~「やりたくないけれど、やらなければ!」の地獄~

⑤ ~殴らないし、蹴らない武術『韓氏意拳』~

⑥ ~韓氏意拳の体感覚~

⑦ ~韓氏意拳の副産物~

最終章 ~欲望への粘り強さ~

 

 

 

 

 韓氏意拳(かんしいけん)は、へんな武術だ。

 

 武術といえば、大人数で合わせる鋭いかけ声であり、殴ったり蹴る訓練であり、拳を合わせる試合を想像されるだろう。

 しかし韓氏意拳は、まず練習で殴らないし、蹴ることもしない。暴力を一切行わない。

 また、空手のような試合もないし、少林寺拳法のように強さを示すカッコいい演武もしない。

 

 ではどんなことをするのかというと、練習ではただ腕を上げたり、腰を下げたりするなど、単純きわまりない動作のみをおこなう。

 試合もおこなわない。それでも、武術なのである。

 

 あなたと同じで、ぼくも最初、意味がわからなかった。

 なので、まずは知識をたくわえようと、韓氏意拳について書かれた文章をいくつか読んでみて、韓氏意拳とは何だ?を探ってみた。

 

 だが、やはり、よくわからない。

 

 歴史のようなものはわかった。

 韓氏意拳とは、中国武術史上屈指の達人として知られる、王薌齋(おうこうさい)によって創始された、『意拳』という中国武術の流れをくんでいるものらしい。

 1886年に中国河北省で生まれた王薌齋は、実戦で無敵の強さをほこり、「国手」(国を代表する拳法家)と呼ばれた。

 その王薌齋の死後、弟子の韓星橋(かんせいきょう)の四男である韓競辰(かんきょうしん)氏が、意拳の内容を整理、体系化し、新たに『韓氏意拳』として創始したらしい。

 

 そんな韓氏意拳では、なぜ試合もせず、練習でもシンプルな動作を行うのみなのだろうか。一般的な武術のイメージと違うことばかりやるのはなぜだろうか。

 その解答のようなものが、ある本に書いてあった。

 

 (前略)たいていの武術は具体的な攻防技術の体得を目的としているのに対し、意拳はそうではないからだ。目指しているのは、人が本来もっている能力の最大限の表現だ。

 意拳の言う能力とは、いわゆる運動神経の良さでもコミュニケーション能力の高さでもない。意拳は、その人がその人として生まれ持って備えている自然の能力を、円満に発揮させるよう促す。

(尹雄大『体の知性を取り戻す』)

 

 この文はどういう意味なのだろう。

『自然の能力を、円満に発揮させるよう促す』とはどういうことだろう。

 そもそも、【自然】って、なんだろう。人間の、『ありのまま』を引き出すという意味だろうか? 韓氏意拳って、そんなにすごいものなのだろうか。

 

 『ありのまま』って、なんだろう?

 自分にウソをつかずに生きる、みたいな意味だろうか。

 もしそうだとすると、今まで、買い物をためらう『ぼく』の意志に反しつづけたぼくは、はたして、ありのままだろうか・・・。

 

 ぼくは、韓氏意拳が心に引っかかった・・・字面もかっこいい。

 なんとなく、これからの人生のカギになる予感がした。

 

 そこで、日本の韓氏意拳界のトップである、光岡英稔(ひでのり)先生が講師を務める、講習会へ行ってみた。

 

 

 

 

ハワイアンの空気をまとう(?)武術家、光岡英稔先生

 

 ぼくは今まで武術を習ったことがなく、興味ももたずに20年間生きてきた。なので、世の中の「武術家」像に対して偏見があった。

 武術家は、だいたい次の2パターンに分けられると思っていた。

 

道場主タイプ

 白い道着をまとって、やたらと顔のしわが多い。いつも厳しい目で、うでを組みながら門下生の修行を見ている。もし隊列を乱す者がいたら、即、呼び出し、「気合いが足らん!」と叱る。あるいは「雑念を取り除け!」と座禅を組ませる。人にストレスをかけたがるタイプ。

 

カンフー・スター タイプ

 ブルース・リーのことである。

 細身の体に、はがねのような硬い筋肉を詰めこんでいる。脂肪はどこにも見当たらない。体脂肪率10%は確実に切っている。

 上半身はなぜかいつも裸で、腹筋が割れている様をやたら示したがる。

 戦闘中は血が沸き上がって興奮し、目をグンと開いて、楽しそうに口角を上げ、目にもとまらぬ速さで人を殴ったり蹴ったりしている。現実世界ではお近づきになりたくない、アブナイタイプ。

 

 

 しかし講習会の会場へついたぼくが目にした光岡先生は、どのタイプにも当てはまらなかった。

 講習がはじまる前、光岡先生は会場の体育館のソファにどっかりとすわり、ほかの講習生と気さくに談笑されていた。

 

 まず、40代半ばとは思えないくらい肌にツヤがあり、顔のシワが少なかったのが印象的だった。

 また、ヒグマのように恰幅のよい体型だった。やわらかく余裕のある服を着ていたため、先生の体にどれくらい筋肉が、あるいは脂肪がついているかわからなかったが、むやみやたらと絞り込んだ体でないことはたしかだ。また、上半身裸でもなかった。

 表情も気さくそのもの。だれかをきびしい目で監視したりしないし、目を見開いて好 戦的に笑ったりしない。むしろ、平和を好みそうなつぶらな瞳をされていた。

 

 そんな先生が、巨大な体でソファにどっしりと腰かけて目のまえの人と話している様子からは、やさしい包容感が感じられた。余裕が深いところから発せられている。もし先生が会社の上司だとして、部下がある致命的な失敗をしてプロジェクトが失敗に終わったとする。光岡先生は肩を落とす部下に大きい手をポンと載せて、笑って許してくださるだろう。

 そんな先生を見て、仕事で失敗ばかりして遠まわしにクビを宣告された身の上のぼくは、勝手に安心感をいだいた。

 

 また、光岡先生について事前に調べたのだが、先生は19歳から10年間、常夏の楽園、ハワイで武術指導をしていたらしい。フラダンスとウクレレを連想させるハワイと、武術。なんともミスマッチである。

 

 そんなこんなで、講習がはじまった。

 会場は、床の白い体育館だった。曇によって薄まった11月の午前の太陽光が、会場の窓に差し込み、床を淡く照らしている。

 

 全3時間のうち、最初の1時間は、先生がホワイトボードを使って体について説明し、それを講習生が床に座って聴く、座学の時間に充てられた。

 

 最初に説明されたのは、東洋と西洋における『健康の定義』の違いについてだった。

 いきなりむずかしそうな内容だなあと思っていると、光岡先生は、黒いマジックでホワイトボードに、英文をつらつら書きはじめた。

 

 「Health is a dynamic state of complete・・・」

 

 書いているのは、西洋における健康の定義の内容らしい。

 それを見てぼくはびっくりした。

 

(光岡先生は、武術指導をされているのにくわえて、英語もあやつれるのか・・・)

 

 たしかに、ハワイに長年住んでいたわけだから、英語を使われてきただろう。それにしても、武術指導をされているわけだから生身で強いのに、さらに英語をあやつる頭の良さも持ち合わせているのか・・・。

 

 ぼくは光岡先生を尊敬した。

 しかし、英文を書き進めるごとに、だんだん光岡先生の様子がおかしくなってきた。

 

「あれっ?」

 先生は突然、マジックを動かす手を止めた。床に座ってホワイトボードに書かれる英文に注目していた15人ほどの講習生も、おやっ?となって、光岡先生を見た。

 先生はマジックを持った手を静止させたまま、こう言った。

「・・・どうやって書くんだっけ?」

 

 どうやら、スペルをど忘れされたらしい。

 とりあえず先生は、わからないなりにアルファベットを連ねてそれっぽい英単語を書かれた。

 講習生のうしろでは、今回の講習の世話人の方が、先生のそんな様子を見守られていた。その方は若い男性で、メガネをかけており、知的な印象を受ける方だった。

 先生は、そんな世話人の方を見た。

そして、

 

「これで合ってる?」

 ときいた。

 

 ちなみに西洋の健康の定義は、

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

 というらしいが、光岡先生は一連の文章を書きおわるまでに、なんと3回ほど同じようにスペルを忘れられていた。

 

 書きおわったあと、先生は少しうつむいて、「話すのはできるんやけどな・・・」と、寂しそうに言い訳されていた。

 

 講習は進んでいった。

 

 先生は、多くの予備校教師とちがってペラペラ話すタイプではなく、どちらかといえば言葉少なで、流暢に話すのが得意ではなさそうだった。

 ポツリポツリと言葉を発する先生によって、講習はゆっくり、のんびりと進められた。

 

 窓より差し込む白い光が、ゆっくりとした空気とぶつかった。

 光岡先生と、15人の講習生の周りは、薄いベールのような白い光で満たされた。

 その空気のなかで、ぼくはリラックスしながら講習を受けていた。

 

「現代人は・・・頭と肩にばかり意識が向いてるんやな。デスクワークで、肩が凝るでしょ? ・・・だから・・・腰が使われていないんや。・・・足もそうやな」

 

 あるとき先生は、ポツリポツリと、その日の講習の核心を話された。

 光岡先生いわく、現代人の多くはふだんの生活で頭と肩だけに気をとられて、体のほかの部分にまったく気が向いていない。

 いわば、頭と肩だけで生きているようなものだという。

 

 そう話す光岡先生の声には、一つの特徴がある。

 どの内容を話すときも、声に芯が通っており、力強くて頼もしい印象を受けるということだ。

 

 講習はいよいよ、韓氏意拳の『実習』へ入った。

 

 

 

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