気弱なまま生き抜くためのテロリズム

さとり世代による導火線

買い物症候群を発症し、中国武術で治そうとした3年間 最終章 ~欲望への粘り強さ~

 

目次

① ~してはいけないことをしてしまう人びと~

② ~したくないけれども、しなくてはならない?~

③ ~できない自分を、できる自分にしようとする~

④ ~「やりたくないけれど、やらなければ!」の地獄

⑤ ~殴らないし、蹴らない武術『韓氏意拳』~

⑥ ~韓氏意拳の体感覚~

⑦ ~韓氏意拳の副産物~

最終章 ~欲望への粘り強さ~

 

 

 

 

 

 数十分後、とあるショッピングモールに着いた。端から端まで歩いて5分以上かかってしまう広さと、あおぎ見るほどの天井。そこに、数十もの店舗が入っているところだ。

 ユニクロやGAPをはじめ、UNITED ARROWSSHIPS、STILL BY HANDをあつかうお店など、ぼくの目をほんろうしてきたさまざまなファッション店がそろっている。

 

 買い物を始める前、二つの誓いを立てた。

 

1つ目

「今日入る店は、ユニクロ、GAP、無印良品だけにしよう」

 

 もちろん節約が理由だ。ユニクロは言うまでもなく、GAPも安め。そんなに高くはない無印良品

 無印良品は、1年前新宿を歩いていたときにお店を見かけて、何気なく入ってから好きになったお店だ。シンプルなデザインや、ベージュ色、オーガニックコットンなど、素朴でやさしいところがぼくの性に合う。そのため、今回のリストに入れていた。

 

 誓いのもう一つは、こういうもの。

 

2つ目

「この買い物を、最後にしよう」

 

 当分、服は買わないようにしよう。服の買い物から卒業しよう。このまま調子に乗ると、いつか本当に破産しかねない。

 いくらオシャレが楽しくても、冷静を失ったら人として終わりだ。

 自分に甘いぼくなので、『禁止』にするくらいがちょうどいいのだ・・・。

 

 入口にあった地図を見て場所を確認し、まずユニクロへ入る。

 棚をひととおり回って、いいと思えるものが見つからず、店を出て次は無印良品へ向かった。

 

 店内にはスペインの素朴な音楽が流れ、シンプルなデザインの文房具や食器、タンス、布団が並び、加湿器からアロマの匂いが漂っている。

 棚から棚へとめぐり、服のコーナーへ赴く。

 そこには、いいと思えるコートや、いいと思えるジャケットがあった。見るたびに、心が強烈に吸い寄せられていく。

 

(・・・欲しい。欲しくてしょうがない・・・)

 ぼくは、ハンガーにかかっている服にふれて、値札を見たり、Mサイズがないか夢中になって探した。

 おそろしいことに、そのときは自分の頭が冷静ではないと、自覚できないのだ。知らず知らずの間に興奮して、冷静を失い、買おうか買うまいか悩んでしまう。

 

 しばらくすると、破産の危機に気づいた。

 ぼくはあわてて買うのをためらい、服から遠ざかろうとするが、なぜか服から離れられない。

 もう一人のぼくは、服を買おうとしているようだった。

 

 これは、どうすればいいのだろう・・・。

 すると、韓氏意拳講習会の、白い体育館を思いだした。

 

 光岡先生が言った。

「体の上に溜まっている気を、下へ落として・・・・・・」

 

【なぜ、恐怖に打ち勝つ必要があるのだろうか?】

 

 すると、無印良品の店内が静かになった。

 

 やっぱり、頭が高ぶっていた。

 ぼくは服の棚からすっと離れた。欲しいものを我慢するときに感じる、後ろめたさの伴う苦しさを感じなかった。そのまま辺りを見渡すとマフラーのある棚が見えたので、そこへ向かう。

 

 マフラーはいくつも柄があった。その中で、灰色と黒のチェック柄のマフラーが目に留まる。今の服に合いそうだ。

 首に巻いてみると、やっぱり今の服装に合っていた。買うことにして手に持ち、手袋を買うために鏡から目を離して辺りを見渡した。

 

 すると、近くに折りたたみ傘のコーナーがあるのを見かけて、思わず近づいた。

(折りたたみ傘、ほしいな・・・)

 もう持っていたのだが、オシャレのわからない頃にスーパーで適当に選んだ代物なので、あまり好きではなく、取り替えたいなあと思っていた。

 

 傘のささってあるところをゴソゴソ探すと、緑と黒の上品なチェック色の、心の琴線に触れたやつを見つけた。

 手に取ってみると、値札には『2980円』とある。

(これは折りたたみ傘としては、安いのか!?はたまた高いのか!?)

 

 どうしよう・・・正直、折りたたみ傘は最初の計画に入っていない。コンビニに行けばもっと安いものが買えるだろう。しかしコンビニの傘のデザインなんて、たかが知れているのでは? すぐ気に入らなくなるのでは? どうせなら、イイやつを買っといた方が大切に使えるのでは??

 

 結局、ぼくは2980円の折りたたみ傘を手に取り、次に手袋コーナーへ向かった。

 

 立てつづけに2つもカートへ入れてしまった。

 

 手袋コーナーをパッと見ると、いいと思えるものはなかった。

 しかし、もう一人のぼくがぼくに語りかけた。

 

「今、ここで買わなければダメだぞ!?」

 

 狂犬の影だった。ぼくは、まるで道の死角から来た知らない人に突然手をひかれたかのように、「この場にある手袋のうちどれか一つを買う」という道へ、ほとんど強制的に進まざるをえなくなった

 10種類くらいあるメンズ手袋を、目をグンと開いて吟味した。頭皮に力が入った。どれを買おうか真剣に吟味した。

 

 これは、手の大きいぼくには似合わない。

 これは、革の素材だからぼくには似合わない。

 このベージュのやつは・・・どうだろう?

 

 その手袋を手にはめ鏡の前にいくと・・・なんとも似合わない姿が見えた。

 どう説明したらいいのかわからないくらいの、絶妙な似合わなさだった。

 

 しかし、買うべきだと思った。ぼくは、何かに急かされていた。頭の中が、ふわっと高ぶるような予感がした。

 

 そこで気づいた。

 

 ぼくはまた光岡先生と白い体育館を思い出した。

 

「体の上に溜まっている気を、下へ落として・・・・・・」

 

 頭の高ぶりが、ふっと静まっていく気配が感じられる。戻ってこれた。無事ですんだ。

 手袋を棚へ戻し、そこから離れ、どんどん歩いて加湿器を通りすぎ、布団、タンス、食器、シンプルなデザインの文房具を通りすぎ、スペインの素朴な音楽から通りすぎて店内から出た。すぐ目の前に『GAP』の、薄暗いがカジュアルな活気のある店内が見えたので、そこへ入っていった。

 

 GAPの世界だった。暗い中、「いらっしゃいませー」を浴びながらずんずん歩き、手袋はどこにあるのか探した。メンズコーナーを歩き回り、レディースコーナーを通りすぎ、キッズコーナー近くの一角に、駄菓子のように手袋が積み上げられていたのを見つけた。

 

 手袋の山をかきわけると、真っ黒なものを見つけて、なぜか心に引っかかった。ぼくに黒は似合わないと思っていたが、なぜこんなに気になるんだろう・・・。手にはめて鏡に映してみることにする。

 

 意外と、わるくない・・・。

 

 値札を見てみると、無印良品ではめてみたやつより1000円近く安かった。これは買いである。

 

 手袋を買って、ぼくはショッピングセンターをあとにした。

 

 

 

 

 帰りの電車で、ぼくは以前UNITED ARROWSで買った青いバッグを肩にかけて、窓の近くに立っていた。

 窓の外に広がる景色を見ていた。ぼーっと眺めていると、今日のさまざまな記憶がよみがえってくる。無印良品の店内は相変わらず心地よかったなー、とか、折りたたみ傘は失敗したなー、とか。

 

 目の前で、たくさんの木が張りついたベージュ色の地肌の丘が見えた。丘のふもとには、灰色の古いビルや施設の建物のある広い土地があり、灰色のくもり空からは、オレンジ色の光が奥から透けて見えた。

 それらの風景が、ゆっくり後ろへ遠ざかっていく。

 

 突然音がして、窓の外が真っ暗になった。トンネルへさしかかったのだ。

 これまで風景を映していた窓は、車内の席に座っているおじいさんや、つり革につかまってスマートフォンをいじっている女性を映した。

 

 暗い鏡に、ぼくの姿も写っている。

 灰色のコート、ベージュ色のパンツ、そしてぼさぼさの頭。後頭部の髪が、一本だけ右へはねている。

 

 よく、髪を整えるように言われる。寝癖を直すくらいはするが、髪型を作ったりはしない。パーマが嫌いだ。髪を思いのままに動かせるほど手先も器用じゃない。

 

 いっそ、髪を何かで隠せないだろうか。そんなことを思いながら、ぼくは窓から目を離し、足元を見つめた。そして目を閉じた。耳には、iPhoneにつながれたイヤホンが差さっている。

 

 流れていた曲は、10年以上前に流行った、神秘的なメロディの曲だった。

 音楽に集中する。キーボードから出されたメロディが、まるで水の波紋のようにゆれる。

 ぼくの心の中に、水のような波紋がゆれる。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 欲望に流されやすい性質って、なんだろう。

 

 ふと思った。我慢ができないから、欲望に流されるのだろうか。

 

 そしたら今日、ぼくは我慢をしただろうか?

 我慢って、なんだろう。

 

・・・・・・

 

 ―――なぜ、欲望に打ち勝つ必要があるのだろうか?

 

 ―――そもそも欲望とは、打ち勝つものなのだろうか?

 

・・・・・・

 

(本当にお前が服を買うことを我慢できるのなら、おれはもう、ここにいないはずだ。おまえにも、わかっているくせに)

 成長欲は視線を寂しそうに地面に落とし、そう言った。

 

 

 なんでぼくは、こんなにも弱いのだ?

 

 

 「周りがぼくの服装を心の中で笑っている」

 

 

 自分の生きづらさから脱出するため、服を買い始めた。

 

 

 ・・・生きづらさとは?なんだろう。

 

 

 そもそも当時は、パジャマのまま自室に寝ころがって本を読んだりと、1日の大半をパジャマですごし、ほとんど私服を着なかった。

 しかし、たまに外に出るときは、パジャマで出るわけにはいかないので、(いやだなあ・・・)と思いながらも、しぶしぶ私服を着る。

 そのときの服装はもうおぼえていないのだが、当時の印象を他人に訊くと、きまってこんな言葉が返ってくる。

 

「オタクっぽかった」

 

 今日は意外と、周りの目が気にならない。

 

 たいていの武術は具体的な攻防技術の体得を目的としているのに対し、意拳はそうではないからだ。目指しているのは、人が本来もっている能力の最大限の表現だ。

 意拳の言う能力とは、いわゆる運動神経の良さでもコミュニケーション能力の高さでもない。意拳は、その人がその人として生まれ持って備えている自然の能力を、円満に発揮させるよう促す。

 

 

 いつから、服を買う欲望に逆らえなくなったのだろう。

 

 いつから、弱い人間になったのだろう。

 

 いつから・・・何が原因で・・・

 

 韓氏意拳とは・・・何なのだろう・・・。

 

 

 

 

 

 

 ふと気づくと、トンネルを抜けていた。

 車内は、外の光に満たされていた。

 

 明るさに気づいて窓の外を見る。

 地平線に、長い雲がゆったりとたなびいていた。その灰色の中央に、オレンジ色のひびが入っており、そこから太陽の光がさし、外は少し明るくなっていた。

 

 ぼくは外の様子を想像した。

 電車から降りたら、外は少し暖かくなっているだろうか。道路に日なたができるだろうか。明日は晴れるだろうか。

 

 次の日、ぼくは何をして過ごそうか。

 

 再び、電車がトンネルに入り、外の風景を映していた窓が瞬時に鏡になって、ぼくの顔を映した。いつもの目に、いつもの顔。

 そして、後頭部に、右へハネている髪が一つ。

 やっぱり気になる。どうにかして、髪を隠したいな。

 

 次はニット帽を買ってみよう、と思った。

 

 

 

 あなたは、あなた自身がこれから傷ついてしまうことを知りながら、前へ踏み出さざるをえなかったことがあるだろうか。

 

 またあなたは、もしヤケドしそうなくらい熱いものに触れてしまったとき、どのような行動を取るだろうだろうか。

 

 人の自然なあり方とは、なんだろうか。

 

 あなたにとっての『ありのまま』は、どんな状態だろうか。

 

 

 マジメさとは、主体的に見えて自分に義務を負わせることであり、理想を抱いて自分をそこに向かわせようと追い立てることでもある。光岡師は言う。

 

「人はわずかな階段を上がるにも、それを目標において歩こうとしたとたん、義務感を感じます。自分で自分に義務を課すそのとき、主体性は失われます。"なんとか対処しよう"と思えば、それは損なわれます。千変万化の動きは主体性からしか生まれません。自分で自分を追いかける必要はないのです。理想は自分を潰します。」

 

(尹雄大著『FLOW―韓氏意拳の哲学』より)

 

 

 この記事を読んでいただいたことで、あなたの人生に種を一つ植えることができたなら、筆者としてこれ以上の幸せはありません。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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