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これから小説家になりたい人のブログです。

社会に迎合できない弱さを、『兵士A』に肯定してもらった話

 

 

七尾旅人
シンガーソングライター。1979年生。
不登校児だった15歳の頃より作曲を始め、19歳でメジャーデビュー。20世紀最後の天才と評される。

 

 

 

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七尾旅人、初となるライブ映像作品「兵士A」。断髪し、1人目の戦死自衛官に扮して描き出す、およそ100年間に及ぶ物語。

ほぼ新曲のみで構成され、「CDというフォーマットでは収め切れなかったニューアルバム」ともいえる、衝撃の3時間。

引用元:http://www.tavito.net/soldier_a/

 

 

 

 

 

 これまでずっと、自分の弱い部分を、たくさん見つめてきた。

 言わなきゃバレることもない、自分の裏側の、汚らしいところや、わざわざ見つめることで社会に適応しにくくなるような部分。社会の言う通りに生きようとしていたぼくは、だんだん、そういう、社会が特に指示していないところを見つめることで、社会的、倫理的に良いとされるかわからない考え方を持つようになり、社会の促す生き方の理想とは少し違う生活を営み始めることとなった。

 

 それは、ウジウジした甘えの態度なのだろうか。社会からの要請から見れば、甘えと見られてもしょうがない話かもしれない。ぼくの中には、そんな後ろめたさがあった。ぼくの生活は、社会にまみれることを良しとしない、社会に応じることができない部分の自分自身を大切にしすぎるものなのではないだろうか。

 

 しかし、数年前から、そういう、自分の中にある社会で生きるために必要ではないものを、徹底的にあぶり出して、感じ続けることを止められなくなってしまった。ワガママかもしれない。甘えかもしれない。弱いところを、社会的に認められていないところを、社会で生きるために必要である分量以上に、見つめすぎているような気がした。

 それは、システムに従うロボットではなく、人間として生きていくために、とても大切な作業のような気がしたが、逆に、厳しい社会でのサバイバル能力をおろそかにする、非建設的な生きる態度みたいな気がした。まるで、サバイバル能力の少ない同類の人たちと、お互いの傷をなめ合うみたいな感じ。

 

 何でそんな風に思うのか。それは、今の弱きを見る態度を、昔の自分が、めちゃくちゃに批判してくるからだ。

 「当然、こうするべきだ」という文言に代表される、社会的通念を武器に自分や他者を斬ることに一切のためらいもなかった、想像力のない―――――しかし、言葉の強い―――――過去の自分が、まだぼくの中に巣食っている。

 当時のぼくは、こう思っていた――――――生きる上でやらなくてもいいことに熱を上げるのではなく、求められている義務をこなし続けなければ、社会的に優位に立つことができないじゃないか。こなすべき義務をおろそかにして、自分の見つめたい部分を勝手に見つめ続けるなんて、何て、自分を必要以上に大切にしている自分勝手な人間なんだ、甘えている、義務をしっかりこなし続けている人の迷惑だ――――――そんなことを思い、口に出すことに、一切ブレーキを踏まなかった。

 

 過去の自分の幻影が語る正論に脅かされながら、なぜか、見なくてもよい部分を見つめ続けることを、捨てることができず、何かに吸い込まれるかのように、ぼくは精神を消耗し続けた。そんな自分を、肯定することができなかった。

 

 ミュージシャン・七尾旅人(たびと)氏による、近い日に数十年ぶりに現れる自衛隊の戦死者をテーマにした特殊ワンマンライブ『兵士A』をDVDで観たのは、去年のことだった。

 

 七尾旅人は、15歳のとき、中学を不登校していて、近所の廃工場をうろつき回りながら、『ロクに義務教育もこなさずに、これから、俺、どうすればいいんだろう・・・』と悩んでいた頃、なぜか、曲が頭に思い浮かぶことが止まらなくなって、以降、20年以上にも渡り、音楽を通じて“見なくても生きていける部分”を見つめ続けてきた人だ。

 『社会』に切り取られてしまう、人間の生身の鼓動を、音楽を介して伝えようとし続けてきた。

 そんな彼の、18年を超えるキャリアの集大成が、このライブ映像作品『兵士A』だという。

 

 「戦争に向かうかもしれない」という意味で、とても不穏な昨今の情勢において、近い将来現れる可能性の高い、日本の数十年ぶり、一人目の戦死者、自衛隊Aくんの死は、盛大に報道されてしまうだろう。

 そして・・・・・・世の中の人々は、戦死者Aくんの人生を、報道に適した形でコンパクトにパッケージングされた、社会のニーズに合わせた情報として、知ることとなる。

 つまり、報道から切り取られた部分を、ぼくたちは知ることができない。

 

 わかりやすい報道に触れることで、人々は、兵士Aくんの生涯を知ることについて、満足してしまう。

 多くの人々は、報道に触れられる以上の情報に、興味を抱かないものだと思う。

 少なくとも、ぼくは七尾旅人『兵士A』を観るまで、近い将来現れるであろうAくんに、何も気を留めていなかった。全く気を留めていないことに、一切、違和感を抱いていなかった。

 

 どんな人となりだったのだろう?  どんな両親に育てられて、どんな愛を注がれたのだろう? どんな風に成長したのだろう? 恋人はいるのだろうか? 今まで生まれ故郷や学生時代や職場で生きていたときに築いたありとあらゆる人々との関係性、絆は、彼が死ぬとき、どのような形となって彼の胸の内に現れるだろうか? それらを一切失うという事実に、彼は、何を覚えるだろうか?

 

 『兵士A』。

 何となく、政治的思想を含んでそうで、観ることをためらわれる人もいそうなパッケージングであるが、兵士Aを観たあと、ぼくは、この作品は、政治的な思想を刷り込もうとするものではなく、政治や社会の下で生きざるをえない“人間”の、表からうかがい知れない舞台裏、生活の匂いを、もっと、もっと、細かく想像して、見つめるよう促す作品だと思った。

 

 政治に影響を受ける、ぼくやあなたや、他の人々の、御託では伝えきれない、等身大の痛切な生身の叫び。

 七尾旅人は『兵士A』で、その心の事例の一つを挙げて、描いているにすぎない。

(もちろん、七尾旅人が過去のブログで書いているように、個人を取り巻く事象を描くことは、往々にして、政治的な内容を含むことになるので、政治的といえば、政治的な作品かもしれない)

 

 

 

 

これから先、作品のあらすじに踏みこむので、先に知りたくない人は読まない方がいいと思う。

 ただ、文だけではライブ作品において重要な映像やメロディーはバラせないので、先に読んだとしても、感動が半減することはないかもしれない。)

 

 

 

 

 

 あなたが『兵士A』のDVD、あるいはブルーレイディスクを手にして、再生するとする。

 気をつけてほしいことがある。

 まず、最初の7分は我慢してほしい。

 

 静かな夜の湖の湖岸の映像と、BGMで聞こえてくる虫の声を背景に、舞台の上で、七尾旅人が音響機器を操作して、ラジオのチューニング音を鳴らしている風景が映し出されるところから、物語は始まる。

 七尾旅人自衛隊の迷彩服を着て、頭を丸めている。兵士Aくんの役を、七尾旅人が演じているのだ。

 どうやら、戦場の、敵味方ともに寝静まる夜中、Aくんが、ラジオを聴こうとしている場面のようである。

 

 Aくんが機器のつまみを操作して、ニュース速報や音楽番組など、様々なチャンネルに合わせては、すぐにチャンネルを変えていく。

 束の間合わされたとあるチャンネルで、数人の子どもが元気よく、このようなセリフを声を合わせて合唱する音声が聞こえてくる。

 

「戦後生まれのお父さん、お母さん。ありがとうございました。

 僕たち、私たちは、大きくなりました。

 そして今、戦前を、戦前を生きています。」

 

 Aくんは、ラジオのチューニング音を、どんどん、どんどん、大きくしていく。

 観る人の聴き心地を度外視した、耳をつんざくラジオのチューニング音がずっと続く。

 そこには、ある種の怨念すら覚えさせられる。

 つまみを操る七尾旅人の目は、地面に這いつくばって世界を見上げるような、腹の底から湧き出る怒りと執念を感じさせる、恐ろしい目つきで、『これから3時間続く音楽は、決して、聞き心地が良いだけでは終わらない』と観客に伝える。

 

 突如、騒音じみたチューニング音から解放され、夜の風景と、風にそよぐ木の緑、かわいらしく響き渡る虫の声が、戻ってくる。

 七尾旅人は、傍の地面に置いてあった、ギターを手にして、静かに弦をかき鳴らし、抑えた声で、これからの展開への鎮魂歌『きみはひかり』を、静かに弾き語る。

 

 

 

きみはひかり  ぼくのひかり

遠く遠く 離れても

あおくひかる このほしが

何千万回と まわっても

 

そう

 

きみはひかり ぼくのひかり

長く長く わかたれても

しろくにじむ この雪が

何億回 とけ去っても

 

そう

 

きみはひかり ぼくのひかり

 

 

 

 

 歌い終えたあと、ギターの音調が変わる。

 一歩一歩、静かに何かがこちらへ歩いてくるような、そんな感覚を覚えさせる弾き方で、次の曲、『ぼくらのひかり』に移る。

 この曲では、七尾旅人は歌わずに、旋律に乗せて感情を込めずに、ある物語を“報告する” 。

 

1945年。ぼくたちを焼いた、あの光。その光を小分けにして、懐炉の中に、入れたのだ。」

 

 1945年といえば終戦の年だ。光とは、空襲の炎だろうか? 原子爆弾の閃光だろうか?

 物語は、どうやら、炭鉱で栄えた町の、ある家庭について語っているらしい。

 炭鉱が閉鎖して、失業者が増えたこの村に、発明王エジソンの会社、ゼネラルエレクトリックがやって来る。

 戦争で傷ついた日本は、その後、東京オリンピックで持ち直し、大阪万博で感動的なくらいの輝きを見せる。

 ラジオでは未来的な音楽が流れ、土地の値段がどんどん上昇し、あるとき、ふと村に影が射す。

 

 七尾旅人は、ただ淡々と、クロニクルを語る。時に、静かにメロディーを口ずさむ。そして、また、ただ報告することに戻っていく。それをくり返す。

 

 物語が21世紀に入った、あるとき、クロニクルを紡いできたギターが、突然、怒りに変わる。

 

 発生源の底が知れない怒りだった。 

 やたらと発露されるものではなく、深く深く掘り下げられた、心の奥底へ押し込んでいかざるをえなかった感情。

 諦念で終わることのできない、基準量を超える鬱屈、やるせなさ。

 現実と理想の間のひずみで容赦なくにじみ出てきてしまう、おぞましいストレス。

 これを、聴く人の心奥に突き刺して刷り込ませようとする、感情の仲介者・七尾旅人の、怒りに似た情念。 

 それら全てが、ギターの一音に込められていた。

 

 いくら押し込んでも、消えることがない感情。

 それは、いつだって、外に出せる環境が整うのを待っている。外に出せる機会を待っている。

 それを問答無用に外に出すとき、周りは無事では済まない。

 

 以降も七尾旅人は、『兵士A』において、Aくんを始め、様々な人々の物語を弾き語る。

 

 子どもが、初めて自転車に乗れた日のこと。

 ショッピングモールによって人々の生活が均一化していく風景。

 見知らぬ大人に母親の手首を切り落とすことを強要され、少年兵となった男の子。

 夜の戦場で、残した愛する人を思い浮かべ、口づけしても、ただ暗闇と絡まっているだけ・・・そんな風景。

 夜中の水の上で誰にも見つからないように脱出する難民の心情。

 

 ぼくの想像の範囲が、どんどん拡張されていく。

 一人目の戦死者Aくんには、おそらく、ぼくと同じように初めて自転車に乗れた日があった。

 

 七尾旅人はさらに弾き語る。

 2003年に生まれるはずだった心優しい科学の子・鉄腕アトムに想いを馳せたあと、現代社会が開発した、心も感情もなく“敵”をただただ殺戮する戦闘型ロボット、ドローンに、七尾旅人は成り替わる・・・。

 

 会場を圧倒する、声を枯らさんばかりの大声で、ドローンの無感情の殺意を訴える七尾旅人

 

 兵士Aの楽曲に、強制的なメッセージはない。

 観る人に、ただただ、情景を想起させることに徹している。

 

 あらゆる情報を抽象し、右脳に訴え、心を融かすことのできる『音楽』で、七尾旅人は、ただ想像を促し、それを優しい音色とメロディーで包みこむ。

 

 この作品はライブの様子を収めたライブ映像であると同時に、人間・七尾旅人の表情の変化のストーリーを捉えたヒューマンドキュメンタリーでもある。

 七尾旅人は、早い段階から声が枯れてしまう。どんどん、狂気が発されて冷静さを失いつつ、最後は目に涙をにじませている。

 収録されたライブについて七尾旅人本人は、「負のエネルギーが色濃く出ていて、決して満足のいくパフォーマンスではなかった」旨を告白している。

 しかし、語弊を恐れず言えばそのある種の不完全さが、このライブ映像作品から醸し出される、異様な雰囲気を支えていた。

 もはや、彼は最後まで歌い切れるのか……………ハラハラしながら観客はその後の展開に息を呑む。

 

 ライブはどんどん進み、広く深い、優しいメッセージの何もかもを内包して、最後の曲、『誰も知らない』へと流れ着く。

 

 

 

あの子はバカだから わからないよという

どれほど望んでも 叶わないよという

だけど 誰も知らない ほんとは知らない

 

あの子は めくらで  さわれないよという

おしで つんぼだから 喋れないよという

だけど 誰も知らない ほんとは知らない

 

あの子はアバズレで  愛せないよという

あの子の行く手には  何も無いよという

だけど 誰も知らない ほんとは知らない

 

ここは火事だから 残らないよという

爆弾が降り注ぎ 止まらないのという

かなしい世界は 終わらないのという

もしも願っても 変わらないよという

だけど 誰も知らない ほんとは知らない

 

 

 

 

 

 この曲を聴いて、ぼくの目から自然と涙が出てきた。

 ぼくの中で変わりつつあった社会に対するスタンスが、切り替わった瞬間だった。これで良かったんだと思った。弱さを自覚して、見て感じようとしたことは、間違ったことではなかった。大切なことだったと自信を持てた。

 

 兵士Aの人生を想像することは、生活する上で必要のない行為かもしれない。

 しかし『兵士A』は、観る人に、間違いのない真実を再確認させてくれる――――――人は、システムに呑み込まれていい存在ではない、ということを。

 

 七尾旅人は、『兵士A』のライブを行う一年前、誕生日を迎えて35歳になった瞬間に、試しに作曲してみたら生まれた曲として、『誰も知らない』のデモ音源をブログに上げていた。

 ぼくは、そのエントリーの最後に書いてあった一文を見つけたとき、恐ろしく心を動かされ、以降、気になり続けた。

 この記事の最後に、その言葉を引用させていただきたい。

 

 

 

 

僕らは、幸いにも何も知りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

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