夢を見ることしか俺には現状許されることができていないのだろう。
どうにか、こうにか、夢が、俺を、前に進めさせてくれる。
俺を、前に進ませることができる。
この、発狂してしまいそうな、浮き上がってしまいそうな苦しみが、夢を追って生きることに対する、代償だというのだろうか。
こんくらいの代償くらい、幾らだって負ってやろうじゃねえか。
俺は、どうにか、こうにか、生きていかなければ、ならないのだから。
昔背負った理想と現実を、どうにか、こうにか、昇華させて、本当に、自分の中から、望んだ、ありとあらゆるとても腑に落ちる『未来』をグッと右腕を前へ伸ばし、グワシ、と、音がするまで徹底的に、掴み取らなくてはならない。
掴み取ることができる、その日まで、俺は、発狂することを、我慢する必要がある。
発狂をすることで、未来、僕の夢を持ち上げて、世の中の人々に対して見せつけるかのように触れ回してくれる、応援してくれる人々が、恐らく、本当ならば近づいてくれようとしていたのにも関わらず、距離を置いて、離れて行ってしまいそうな気がするからだ。
理想を、絶対に実現させていくために、現状の、自分自身の現実を、冷静に、適確に、直視していかなければならない。
そうしていくことで、理想とは、現実となっていく、現実となっていかざるを得なくなってしまうのである。
おい。
そんな、軽はずみな態度で、理想を、現実にして行こうと思っているんじゃねえよ。
理想を、現実化させて行こうとするということは、現実の、現状の自分を、徹底的に切り刻んでいって、自分の、それまでの習慣を、根底から徹底的に変えようと死んでしまうかのような努力をし続けるということである。
決して、理想を頭の中で膨らませて、その理想を、他の人々との間で共有させて、その、決して自他を傷つけようとしない幻想、幻覚、何でも良い、地に足が着いていない妄想に自他を巻き込んで、それまでの現実を、新たなる妄想でうめつくさせて、それまでの現実を見ないようにしようとすることではない!
しかし、それしか方法がないのではないか・・・。
違うんだ。
現実を見ないようにして、妄想へと逃げ込もうとしている人々は、覚悟が足りないんだ。現実とは、妄想である。現実とはーーーー知らなかったか?ーーーー誰か多数の人々が共有しているだけに過ぎない、とても、とても、強度のある、気が利かされており、目配せがかなりのレベルで行き届いているーーーーーただの、妄想でしかない。
妄想に過ぎない。
妄想に過ぎない。
妄想に過ぎない。
だから、夢追い人は、夢を、ただ、ただ、追いかけているだけで、終わっているんじゃねえよ。
現実を、創り出さなければならない。
現実を、創り出さなければならない。
現実を、創り出さなければならない。もう一度、言う。
俺たちは、現実を創り出さなければならない!
現行の "現実" よりも、はるかにクオリティーが高く、高品質である『現実』を、
夢追い人達は、創り出さなければならない。
それこそが、現実を『夢』で対抗するための手段であり、
夢を追うことに対して良い顔をしない、むしろ、せせら嗤っているような人達ーーーーーーーーーーー現行の現実に対して、『鈍化』してしまった人達ーーーーーーーーーーーの、風が吹いてしまったらさっさと飛んでしまいそうな有象無象でしかない批判の数々を、本質的に、根本的に黙らせてしまうための、唯一の方法なのである。