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石川直樹さんについての考察 その2

 

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kytekona.hatenablog.com

 

 

 

 

ぼくは、自分の中の世界ばかりしか、冒険できなくなってしまっている人間なのだ。

 

べつに、自分の中の世界ばかり冒険していることが、面白いから、そうなっているわけではなく、本当は、自分の外に無限に広がっている、誰とでもシェアしやすい状態として存在している世界各国の数々を、この目で見て感じていきたい・・・・・そう願っているのです。

 

しかし、それができれば苦労しない!!!

 

こういうことを言うと、必ず「それは、お前がまだ苦労していないからだ」みたいな説教を垂れてくる大人たちがいるのだが、なかなか、話はそう単純なことではなかった。台湾や中国を一人で旅してみたり、苦手な対人コミュニケーションを改善していくために、あえて接客業のアルバイトをしてみたり、それなりに苦労はしてみたわけである。しかし、『やればできる』はウソなんだなあと思ってしまったわけだった。

 

やらなければできようがないのは真実だ。

 

だが、やったところで、できるようになれるかどうかは人それぞれでしかありませんでした。

 

もちろん、あきらめてはいない。性格上、棺桶に入らなければならなくなるその日まで、あきらめられるような人間ではないのですから、そのようになれるまで挑み続ける人生を、ぼくは、送り続けるしかないのでした。

 

しかし、ぼくは、現実を何度も何度も何度も何度も、突きつけられ続けてしまった。

『このままじゃ駄目だ』ということを。

 

それは、『このままのレベルの努力だけでは、到底、目標へは辿り着かない』要するに、『もっと頑張らなければならない』ということを、言いたいわけではないのです。

要するに、『このままの自分では、たとえ、どのような努力をしたところで、上手くいくことはないだろう』という現実を、悟らざるを得なくなってしまったということでした。

 

石川直樹さんのように広く輝かしい世界を目で見て、感じていくためには、ぼくは、それまでの、物心ついてから否応なしに染みついてきた『暮らし方』そのものを、一つずつ、根底的に全否定しながら、己自身を解体していかなければならなかったのでした。

 

 

 

そもそも、なぜ、旅をしてみたいと人は望んでしまうのだろうか。

 旅をしたところで、何かを得られるかどうかはわからないのではないでしょうか。

ゆえに、 ただただ旅へと出かけることが必ずしも重要なことかといえば、そうだとは限らないのでした。

 

旅をすることで、少なくともぼくは、知見を広げたいと思ってきたのでした。

それは、インターネットなどでどのような辺境の地に存在している貴重な景色みたいなものですらも、簡単に知識としてインプットできてしまう現在の状況に生きているぼくが、『知ったつもりでいる』人間へとどんどん向かって行ってしまうことによって、大切な『地に足着いた、土と共に湧き上がっていく実感』をハナからないがしろにしてしまうような大変どうしようもない、勘違いした人間とばかりなってしまうからだったのでした!!!

 

そして、それは、石川直樹さんにしても、恐らく人として歓迎していない部類へと入ってしまうのではないでしょうか。

 

(なんか、だんだん、ぼくが上手く行っていないだけの現状のことを、石川直樹さんのせいにしているどうしようもない文章へと、転がり落ちて行っている感じがしていますが、まあ、誰が期待しているのかすらもわかりませんが、続きを書いてみたいと思っています)

 

 

以前、エッセイで石川さんが、こう言及していたことを、ぼくは覚えています。

メディアを通して聞こえてくる声は、他の多くの声のほんの一部でしかない。 

土の上からかすかに聞こえる隣人の息吹をどれだけ感じられるか。今ここを意識しつつ、ここではない場所や自分と異なる人々について、少しのあいだ思いを巡らせてみることはそんなに難しいことではない。

 

もしかしたら、本当の辺境は自分の内にあるのかもしれない、とも思う。

(引用元:全ての装備を知恵に置き換えること)

 

『自分の外』に向かって広々と羽根を広げてきたはずの彼がこういうことを言っている事実を知ることで、ぼくは、自分が内向的であることに、一種の自信すら抱くことができたがゆえに、石川直樹さんのことを好きになることができました。

「自分の中の知らない何かを知っていきたいがために、僕は、人体の限界を走るような場所へと旅をして行ったのかもしれないですね」

たくさんの危険が想定される旅を続けることについて、彼は、もしかしたら、こんなことを言ってしまいそうです(ぼくの妄想であり、ご本人がそう言っていたわけではないので、そこのところは、ご注意ください)。

 

彼の言葉の数々に説得力があるのは、彼の身体から立ち昇る、確かな『土と共に立ち昇ってくる体感』があるからでした。

ぼくが同じことを言ってもオシャレをてらった妄言にしかなりません。

 

 

 

 

 

kytekona.hatenablog.com

 

こんなに長く続くことになるとは思いませんでしたが、『その3』に続きます。