自信

 

 

自分のことを、叩き上げの人間だと思っている。

 

小説を書いている。ほとんど、完成されていない。だから、本当に小説を書いているのかを、よく、疑われることがある。

 

小説は、書いている。

『小説を書いています』とアピールするために、書いているわけではない。

書いた小説を投稿して、選ばれるかなあ、どうかなあと一喜一憂しようとして、書いているわけでもない。

デビュー方法など、知らない。小説を、書いている。小説を書いている理由は、決して、小説を書こうとしているからではなく、誰からも認められなくても生きることができる自分へと追い詰めていくために、書いていたような気がする。

 

おれは、もう、どこからも自信を得ることができない。

仮初めの自信ばかりが、これまでのおれを、覆っていたのだった。

学歴、義務をしっかりとこなした後に与えられるご褒美、『周りの人間よりも、自分の方が、高貴な物事をよく弁えている』という勘違い・・・・・・

 

いかに、そんなものから抜け出すかどうかを、小説を書くなどという意味不明な行為で、達成しようとしていたように思う。

小説を書くことは、誰からも、求められていない。こちらも、小説を書くという行為を、ほとんど、認められないのである。

 

自己実現なんてものを求めて、小説を書こうとなんてしていない。

「夢を叶えろよ!」と、おれが小説を書いていることを知った人が、そう、声をかけてくれたりする。

 

信じてくれ!!!!!!!!!!!!!!!

 

おれは、一度だって、夢を追いかけようとしたことなどない。

いつだって、おれの関心事は、現実社会である。

決して、おれの『小説を書くという行為』を、地に足浮いた作業などと思わないでくれ。ブッダへの冒涜に当たる。老子、荘子、王向斉への、侮辱に値するのである。

 

おれは、夢を見ようと思ったことなど一度もない。

現実を、叶えようとしかしていない。

小説は、現実を叶えるための手段なのである。おれにとって、夢だって、叶える対象でなく、手段なのである。

 

具体的なことのみしか書きたくない。

ただし、ここでも、勘違いなどして欲しくないのだが、FACT、誰かと自分を比べて自分の方が上だ下だと比べる作業に代表される背比べ、「君は、君のままでいいんだよ」という言葉に代表される根拠のない慰め・・・・・・・・・・全て、幻想である。

 

具体的なものでも、何でもなく、それらの幻想に当てられたところで、長い目で見ると、自信を養う機会を奪われ、痩せ細るのみである。

 

自信は与えられるものでも、捏造できるものでもなく、知らぬ間に湧き出ているものである。