韓氏意拳をがんばろう。

分かってるんだけどできないっていうのが韓氏意拳の講習をする上での常だと思うんだけれども、

これまで、

『分かってるんだけど、できない!』

という感覚を、ある種、一種のアトラクションとして、楽しんできたけれど、これからは、本格的に取り組んでいこうかなあ…。このままでは謎が謎のままだ。

 

分かっていない。それは良い。

だけど、きっとオレだって、それなりにできるようになれるだろう。

というか、いつまでも韓氏意拳の傘を借りた弟分みたいな心境で取り組むのも逆に辛いような気はする。自立していかないとなあ。

 

韓氏意拳が、抱えきれないくらい緻密で、難しいことであるとは、分かってはいる。

ただ、それまでは、そういう、『自分は劣っている、自分は分かっていない』という自責に囚われてしまって、そもそも、韓氏意拳という名の本丸へと、突入できないまま、尻込みしていたところはあった。

 

尻込みするのは良い。ただ、まあ、ぼくもそんな捨てたモンじゃないよと、考えてはみようと思う。笑いに逃げなくても良いじゃないか。あんまり自分が、進度が早い人だとは思えないけど、そういうことはもう、散々、悩みをこねくり回してきたじゃないか。

 

まずは、自分が講習でつまずいているところが、具体的に、どのようにつまずいているのかを、自分なりに把握しようとしてみて、自分の言葉で説明しようとすることだろうか。

これまでは、韓氏意拳を説明しようとすると、普段の会話では笑いに逃げたり、文章では読後感で誤魔化そうとしてきた。

 

あんまり、自分の価値を下げるのも、どうかと思う。

自信はないのだけれども、自信のないまま、韓氏意拳を語ったところで、何というか、ぼくを通して語られた韓氏意拳の印象も、何というか、そんなに良くないものとなっちゃうじゃないか。

 

まあ、がんばろう。