☆即興ストーリー 誰だって、他者

 何を、うまく、生きようとしているんだろう。クリスマスは、狭い。ぼくは、ひとりぼっち。ひとりぼっちなのは、自分のことが、嫌いだからだ。

 

 

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「どう? 大丈夫?」

 彼女が声をかけてくれる。彼女が、できるという経験は、生まれて初めて。それほどにまで、ぼくは、飢え渇いていたのだった。

 

「大丈夫じゃない」

「えっ? ごはんちゃんと食べたんじゃないの?」

「知らない」

「しっかりして」

「しっかりしない」

「もう! 何言ってんのよ!」

 こういう、絵に描いたような、完全に相手サイドに寄りかかり切っているコミュニケーションをできるようになったのも、ここ、最近になった気がしている。

 

「死ななきゃ、何でもいいよ、あなたは」

 

 彼女と付き合う前に、己の自殺願望を語って言ったとき、こう言われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼくは、助けてほしいと願っていた。助けを求めたことは何度もあって、実際、助けてくれようと周りは何度かしてくれて、それでも、その救いを差し伸べてくれた手の内容が、ぼくにとって、絶望的なくらいにこちらの腑に落ちない質のものだったから、それすら、感謝することもできずにここまできていた。自殺願望の原因は、腑に落ちないあらゆることを、己の身に、被り過ぎていたからに他ならない。分かる人にしか分からない、この感覚。この感覚そのものについて、「ワガママ」と評されてしまったとしたら、抵抗はするだろうが、ワガママであることを拭い取ることはできません。こう言ってみる。

 

「俺はこれまで、死ななければ、ならないような仕打ちを、沢山、身の周りの人たちに、してきてしまったんだよ・・・・・・・」

 

 こういうことを聞かされて、他者としては、どのように反応すればいいんだろう? こちらのセリフを聞いてくれる人の、身に余ることを言ってしまったら、言われてしまった人としては、どうしようもないでしょう。ぼくは、最近、自分の言動が、どのような影響を周りに与え得るかを、想像するようになっていた。想像するように、昔、ある人に、注意されていたからだった。思うに、ぼくの言動に対して「×」を付けて、もっと、他者のことを想像しながら話しなさい、なぜ、そういうことをしないんですか? 最低ですね、だから、あなたは皆に、嫌われているんですよ、みたいにぼくに伝えてきたその人間は、たぶん、ぼくのためを想ってそう言ったわけじゃないんでしょう・・・・・・・。ただただ、ぼくの言動を容認できることができない、器が人一倍小さい人間だったから、こういうことをぼくに言ったというだけであって・・・・・・・・・・

 ゆえに、ぼくは、反省する必要も、本来、なかったんじゃないですか?・・・・・・・・・・

 

 なんて、思うようになってはいたけれども、それでも、飾らない自分の言動に、自信を、持つことができなかったから、ぼくは、いつまで経っても、目の前の、ぼくを好きと言ってくれて、ぼくを、受け入れてくれる気のある彼女にすらも、自分を出して、話をすることが、今のところ、できないんです・・・・・・・・・・。

 

 彼女は、少し、黙っている。

 

 ああ、やってしまった・・・・・・結局のところ、全くの赤の他人であるおれの口から、こういう、 “良くない” ことを言われると、困ってしまうよね・・・・・・、と、ショックを受けていたところに、彼女が

 

「依存していいよ、私に」

 

 と言った。

 

 ド直球極まりない。

 

「依存していいんですかい?」

 

 少し、おちゃらけて、聞いてみる。もし、ぼくが本領を発揮して、お前に、完全に、身を預けてしまうように、依存してしまったら、おれは、お前の生活に全て侵入する勢いになってしまって、お前の基本的人権を守れない人間になってしまうよ。ぼくは、お前の、基本的人権を尊重したい。だから、そうできるように、ある程度、距離を置かないと。

 

「いいんだよ。私、そういうのもう、終わったから。他人のために生きてもいいと思っている」

 

 こちらにとっては、都合の良すぎる話ではないだろうか? たしかに、こちらとしては、こんなにも安心できて、願ってもない話なんて、この世に存在しないよ? 

 でも、そういうわけにはいかない。ぼくは、不躾な人間では、いたくないんだ。だって、お前を、損なってしまうじゃないか。一体になってしまったら、あなたは、不自由になってしまうじゃないか!

 でも、辛かった。『ぼくは、悪い人間なんだろうか・・・・・・?』と、自問自答し続ける生活に、心が参っていたんだ・・・・・・・・・・。

 

 ぼくは、彼女に、身を預けてみた。胸に、頭を、そして、額を、当ててみると、この世で最も安心を与えてくれて、柔らかい感触が・・・・・・・・・・こんなにも、幸せなひとときを、味わってもいいんでしょうか? 

「いいんですかい?」あくまで、おちゃらけて、訊いてみる。彼女は、ふふっと笑って、「いいんですよ」と返してくる。

 

「君は今、幼稚園児で、女の子だね」

『彼女の何もかもに甘えてみたい』なんて思っていたところ、頭上の彼女から、何だかスピリチュアルな言葉を投げかけられる。幼稚園児で、女の子・・・・・・青年の域に十分達している男性のぼくに、何をおっしゃるんでしょう。ぼくは、まるでネコが甘えるように、しばらく、頭を動かしながら彼女の体の感触を楽しんでいるところだった。たぶん、そうなのかも、しれないですね。暖かさが、こっちに、移ってきます・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寂しい。

 

 閉じた胸の内を、どうやって、開くんでしょうか? そんな風に考えていると、彼女が、(冗談抜きで)子守歌を歌い始めた。でも、優しい子守歌に、頭の中も、優しくなっていきます。私は、子守歌を自然に聴いています。私が、冷めてしまい始めたのは、いつからだったのでしょう? 私は、昔、友だちに裏切られて、両親が勝手に自分の価値観を押しつけてきて、そもそも私は、部活でも、学校でも、うまく、周りのペースに付いていけない、グズな人間で、私は、家でも、外でも、まるで、戦場にいて、でも、女の子だから、正面切って闘って解決する問題じゃなくって、だから、体のスイッチを一段切って、対人関係におけるテクニックを磨いてきて、大人にも、子どもにも、負けない技術を身につけて、どうにかこうにか、自立していこうと、頑張ってきましたが、それまでの間に、誰かを「あっ、傷つけてしまったなあ・・・・・・」と、自分で気づいていながら、でも、自分の保身のために生きているのだから、それが、第一優先であることが完全なる善だから(もっと人に本当の意味で優しくできる人間になりたいのに・・・・・・)、たとえ、一時的に誰かを軽い仲間外れにしてしまっても、でも、それより辛くて理不尽なことなんて、私も、重々、遭ってきましたし、それくらいで、泣きわめくんじゃないよ!!!!!!!!!! という感じで、生きて、きましたし、それゆえ、私に傷つけられてしまった人間が、ぼくに、乗り移っている。『私に傷つけられた人間』が乗り移っているのではなくって、ぼくが、過去の、『私』に傷つけられた人間だから。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・過去、『私』に傷つけられて、辛かったんだ。だから、ぼくも、『私』がぼくにやってきたことと、同じようなことを周りにし続けてきてしまったんだ。死にたい。死んでしまいたい。ぼくは、過去にぼくを傷つけてきた『私』に、耐えられなかった。ぼくは、今、『私』ではなく、目の前にいる「依存していいよ」の彼女の胸の感触を感じている。彼女の温かくてやわらかい胸の感触が、あまりにも有難くって・・・・・・・・・・前後不覚になって、号泣している。何が何だか分からない状態になって、涙で、彼女の服が濡れてしまうことだって、彼女に、甘えることにしていて、そうすることを、許してくれる包容感を、上から注がれている彼女の温かい眼差しから感知していて、私は、傷ついていて、私は、癒すことができずにいて、私は、人一倍、真面目な人間なんだと、自他共に認められていて、それが、沢山、仇になってきていて、本当は、誠実で、真っ正直に生きていたいにも関わらず、過去に受けた傷を、耐えることができなかったんです。傷ついたことを。傷つけられたことを。誰かが、助けてくれなかったことを。私が頑張らないと、駄目だって気づいたことを。誰だって、他人なんだって、学習してしまったことを。ぼくだって、そうだ。『私』である君に、そうだって教えられたんだよ。だから、何にも気にしないで、安住できるコミュニケーションを、忘れてきてしまったんだよ。

 

 安心できる場所を、自分の中にある閉じた空間以外に、感じることができないでいたんだよね? 

 

 同情。共感。

 

 でも、それは、必要な勉強だったと思っているんだよ。知らないうちに誰かを損なってしまうことだって、あるよね。知らないうちに誰かを損なってしまうことを、回避できるコミュニケーションが、この世に存在するかまでは保証することができませんけれども、でも、「依存していいよ」の彼女に、ぼくも、私も、目一杯、今は、体を、預けましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・死にたいよお」

 

「よしよし、よく言えたね」