幸福論

 

 

 

誰のためでもない、自分のために、生きる。

誰のためでもない、自分のために、自分を幸せにする。

誰のためでもない、自分が幸せになるために、誰かを幸せにしようとする。

 

誰のためでもない、誰かを幸せにする努力をすることで、幸せにする努力ができた人が、それまでより、心地よい状態へとなっていくことは、確かのような気がする。

 

望まない幸福を望まれてしまったら、むしろ、ドン底へと墜ちてしまうのだけれども、人は、それぞれの幸福を追求するために、日々を生きているので、あなたは、あなただけの幸福を追求して、構わないのである。許可を貰う必要なんて、どこにもない。

 

むしろ、あなただけが知っている、たった1つだけの灯火を、燃やしつづけて、そうして、内を見つめつづけていく必要がある。

不幸を望むことが生きる悦びだと感ずることとなったことがある人たちだからこそ、その真実が、わかるものなのではないだろうか。

 

誰かが幸せになることが、決して、誰からも望まれるわけではない世の中において、そのようなことを口に出すのは、痛ましさを覚えてしまうかもしれないけれども、まずは、あなただけの幸福を探し出してほしいと思います。

 

ぼくの文章が、誰かの感じている幸福の、脇役か、添え物程度の存在にでもなることができたなら、ぼく自身はそれだけでも幸せです。

 

その人にしか分からない幸福があるということを、理解しなければ、誰かの幸福を望むことなど、できないのだろう。

 

幸福を追求しようとするならば、独りで、旅立たなければならないし、周りは黙って、出航を、見送ってやらなければならない。

 

その先に、必ず、理想の何かがあるのだと信じて、前へ、前へと、進んでいく。

遥か先にあるはずの幸福を求めて、寂しさを、乗り越えて、正しさを、祈りながら、人々はまた新たに、巣立っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえ、永続は、赦されていなかったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その "何か" は、巡り巡って、やってくる。