☆即興ストーリー いいえ、けっこうです。

夜の新宿は蒼い。もう新宿から出ていきたい。新宿は、ぼくのことを離さない。

 

新宿に先立って、ぼくは以前、二子玉川に行った。地名だなんてどうでもいい。ここで地名のことなんて、あなたたちには関係ない。とりあえず、少し、緑のある、長くて大きい川の、ほとりの、堤防の草原に、あのとき、存在していたのだった。新宿の夜の蒼さに縁のない、すてきで、幸せ、そんなとき。

 

「私はね、あなたのことを好かない」

 急に彼女が言ったわけである。

「何言ってるの急に?」

 休日の午後、平和な昼下がりだった。少し、草から出てくるホコリみたいなものに鼻腔が刺激されて、鼻水がお互い止まらなかった。それでも、やっぱり、仕事で疲れたあとの自然散策というものは、いくら、もう、気心の知れすぎて倦怠期みたいな二人でも、歩いていたら、心地よい。そう思っていたのは、ぼくだけだったのか?

 

「そういう風に自分の中に閉じこもってるから駄目なの」

 駄目、だなんて、言われた。そう言われて、ぼくはさらに閉じこもってしまったわけだが、そこをまたしても、彼女に突っ込まれた。

「けっこうね、不満が溜まってたの。嫌なんだよ、あんた」

 平和なひとときではあった、まだ。そういうことを言い合うのも、退屈さを感じて、そういうものがまた、実は、休息になっていたということにお互い気づいたのは、その、何年後になっていただろうな・・・・・・。少なくとも、ぼくはまだ、気づいていなかった。

 

「いくら何でもさ、急すぎないかなあ。だって、それまでおれとお前は、ハウスダストが屋外でも出てるとか言い合って、ポケットティッシュ分け合って、鼻水思いっきりかんでたんだよ。どこが嫌いなの。急すぎて、おれは、お前に対応できてないよ」

「そうやって分析的に語りやがって。ていうか、ハウスダストが屋外でも出てるとかアホ丸出しのこと言ってるやつは、そもそもお前じゃん。私はあんたがそういうこと言ってるのを聞いて、少し、恥ずかしかったから! それに、もう、丸ごとあなたに対して、嫌気が差したんだよ」

 もうちょっとその語調で彼女はまくし立ててきたのだが、もう、分割する。カットする。どう考えても、他のストレス要因が原因の、急にそういう気持ちになった感のある言葉だったし、彼女の情緒不安定感には、我ながら、二年も付き合っていて、もう、飽き飽きだった。こっちだってお前のそういうところに飽き飽きだよ、みたいに返していたら、川辺の堤防の原っぱで周りに子どもたちやその保護者である大人がわいわいボール遊びしたり、追いかけっこしたりしている、絵に描いたような休日の平和のひとときの中で、行なわれた別れ話は、頭上に広がる何も気にしていないような青空とのんびり我々を照らすお日様の光の下、周囲の家族団らん、子ども団らんの幸せに影響させることもなく、意外と平和的に進行された。間もなく、別れることとなった。やった、次の道へ進むことができる。ぼくは、けっこう、目の前の道が開けてしまった。一応まだ近くにいる彼女に未練がなかった。まあ、友だちに近い状態だったし、べつに、いいかな、なんて思っていた。

 

もちろん、彼女がどう思っていたなんて、知らない。そして、舞台は新宿へ移る

 

歌舞伎町。

歌舞伎町の夜空は蒼い。

歌舞伎町の夜空は蒼い。

歌舞伎町の夜空は蒼い。

蒼いだなんて言葉を使うことが、我ながら、まったく腑に落ちない。歌舞伎町の夜空を”蒼い”。蒼井優を想起させるような、コバルトブルーを想起させるような言葉で、歌舞伎町を表してしまって、合っているはずがないのである。しかし、そうしてしまっている。

道行く人々を、恐ろしい数のキャッチが、地獄へ陥れようとしている。歌舞伎町の夜空は蒼い。キャッチと、スカウトは、地獄からの使者であって、ぼくだって、その一人だ。

七年前、彼女と歩いた、川のほとりの子どもたちの歓声と保護者たちの微笑みで彩られた雰囲気と、真逆みたいな場所で、何を、道行く男や女性に声をかけまくっているんだろう。

ぼくは、やっぱり、自分に閉じこもっている。

道行く人に声をかけるとき、声をかける人のことを、感じていない。歌舞伎町の夜空に、あらゆる工夫をほどこして、綺麗な存在として見ようと画策しても、見ることができない。たまに、キャッチが成功する。ここは、退屈である。川のほとりで見ることに飽きてきた彼女と歩いているときに感じた退屈と、全く、違う。夜のネオンに、強く明るい人工の光に対比された漆黒の夜空に、高揚を覚えず、ぼくは、退屈である。時折、キャッチが、うまくいく。キャッチと、スカウトの仕事を兼業している。成績は、同僚と比べて悪くない。ノルマを、毎日、達成する。上司から、一日100人以上の女に声をかけろと言われる。忠実に、達成する。踏み入れた道を、後悔している。面倒なしがらみを、街から受けている。ほとほと、面倒な気持ちになっている。良さを感じられない。何も感じられない。怖さを感じないくらいに慣れているが、肌に染み入ることがない。思い入れがない。

なぜ、最初、この文化に惹かれてしまったのだろう。寂しさだろうか。彼女・・・・・・・・・・”彼女”という文字を書くことが、少し、ぼくの心において痛烈に響く。あの、川辺のほとりを。あの、ハウスダストを。あの、日常を、手放してしまったのは何なんだ? わからない。ぼくは、退屈している。こういうことを言っていれば、彼女が戻ってくれると思ったら、大間違いで、いや、彼女が戻ってきたとして、たぶん、あんまり、ヨリを戻そうとか、思わない気がする。やっぱり、彼女については、愛想が尽きていたに違いない、お互い。だから、ぼくは、新しい何かを探すしか方法がなく、よりによって、歌舞伎町を選んでしまったのだろうか? 思い切った選択である。あまりにも、自己言及はキリがなくて、どうにもならない。目の前に、とても素敵な女性が現れる。

 

 

 

 

 

 

知らない女性で、どう、言葉で表現すればいいのかわからない。彼女の魅力を、どう、書き継いでいけばいいだろう。見ず知らずの、少年のような雰囲気の、斜め下から斜め上から世界に対しているエネルギーばかり飛び交っているこの空間で、ただただ進行方向へ歩いているだけで、周りから浮いていて、気取ることなく、ただただ歩いていて・・・・・・・・・・。

周りの状況に、全く気を留める気が見られないその目つきに、ぼくの心は惹かれた。

たぶん、彼女の内心は、とても、”退屈”で、ぼくは、あの心中の”退屈”を、求めていて、彼女の内心に、全て、ぼくの中に入っていけるように、思えて、支離滅裂で、何をそんなに、女性の魅力を永遠と書き継ぐだなんて、恥ずかしい作業をしているのだろう。

なぜ、こういう雰囲気の女の人が、こんなところにいるんだろう。想像してみる。この歌舞伎町には、サブカルの聖地として有名なとあるライブハウスが、存在している。そこで、彼女の好きなサブカルのアーティストか何かが、催し物をして、それに、参加していたのだろうか。あのライブハウスで行われるイベントは、大抵、終わりの時間が、ちょうど、今のような夜中で、キャッチの嵐の吹き荒れている時間帯となっている。そういう危険な状況下において、その、全く素朴で、何の色気すら出しておらず、何にも参考にしてなさそうに思える歩き方で、彼女は、何のこだわりもなく、嵐をかわしていく。

「いいえ、けっこうです」

無駄な警戒もゼロで、断る方も、断られる方も、お互い、何の悔恨も起きないくらい、ただただ、断っている。

あのときの川べりを、思い出してしまう。

秋も近づき、若干、雑草が枯れはじめて、黄色く染まって、あきらめの様相を醸し出していく、あの、草の持つ、退屈さ。ぼくは、退屈ではなくなっている。

ずっと、疲れていたから、退屈になっていた。退屈になることで、疲れないようにしていた。退屈が消えて、ある種の頑張りに踏みだしていくことは、危険に身をさらしてしまうのは、なるべくならば、避けたいものだ。

だが、目の前の出会いが、退屈を強制的に追い出させようとしてしまう。

彼女を見つめる。

退屈なあの川のほとりを感じる。

ハウスダスト、日の光、和やかな団らん。

あの幸せを取り戻すために、ぼくは、退屈ではなくなってくる。彼女を見つめる。彼女に近づく。スカウトのときの早歩きで近づく。ぼくは、ぼくがどのような格好をしているのか忘れている。キャッチの恰好をしていることを忘れている。きっと彼女は、退屈しているぼくを退屈にさせてくれる。彼女との未来しか、想像していない。ぼくは、近づく。彼女がぼくの気配を感じる。彼女は何かをさけようとするかのように手を自分の体の横にかかげる。