『考えすぎること』を止めない人生
「考えすぎるな」「あんまり深く考えるなよ」という言葉がある。
思い詰めて苦しんだりしている人を慰める言葉であるが、そう言われてすぐさま『考えすぎないようになる』人なんているんだろうか。
僕は、深く考えることを止めることができなかった。考えすぎることで悩みは増え、精神に支障が出ることはよく知っていた。だけどその時の僕は、考えすぎざるをえなかったのだ。
この文章書いている今だって、僕は考えすぎてストレスのせいか動悸が出ている。でも、それくらい考えたいことを徹底的に考えている現在の状況が、結構楽しくもある。
そもそも『考えすぎる』の【すぎる】は、どのような指標によって定義されているのだろうか。
どれくらい考えたら『すぎてしまって』いて、どれくらい考えることを留めたら、ちょうどいい『考える』になるのだろうか。
そんな指標は、人間社会において正式に決まっていないらしい。意見は人によってまちまちだ。
というか考えてみるとわかるが、この宇宙において、元来『考えすぎる』なんて言う概念は存在しないのだ。
『考えすぎる』と言う概念は、そもそも自然界にない。
『考えすぎる』と言う概念は、人類の共有する妄想であると言える。
つまり、言うなれば、『すぎる』とか『すぎない』とか言う判断基準はその人自身の中にしか存在しない、ただの妄想でしかない。
なぜ、考えすぎるのか。
それは、その人自身が考えすぎることを求めているからだ。
誰だって考えたくないことについては考えない。
だけれど、どうしても考えたくなってしまうこともある。
心に引っかかっているから、考えてしまうのだ。
逆に言うと他のことに集中して気をそらしたりすることで、考えることをストップしてしまうのは、また考えることを再開しない限り、たまたま起きる偶然によって消失するまで、それは心に引っかかったままだ。
あまりにも考えすぎてヤバくなったら、意識をそらしたり体を動かしたりして、心と体をリセットすればいい。
でも、時を置いても気になってしまうのなら、もう、考えてしまえばいい。向き合ってしまえばいい(もちろん、無理は絶対してはいけない)。
心にいろんなものが引っかかったままでも、棺桶に入ってしまえばそんなのは関係なくなる。
でも、考えることに突き進むことで、日々抱えている後悔が少なくなるかもしれない。
考えることで悩みが減るとは限らないが、悩みの質は変わるだろう。
僕は変わった。それまで悩んでいたことをあまり悩まなくなり、また違う悩みが生まれた。それは、悩みのループを回っている感覚ではなく、新たな境地に至れたみたいな感じだ。
僕はこれを、勝手に『成長』と呼んでいる。
悩むことは、いいことだ。
悩めることは、才能だ。
この性質に自信を持って、ぼくはこれからも悩み続ける。
復讐心が生まれるワケ
見下された人は、見下した人に復讐したくなる。
たとえ、見下した側にどれだけ理由があろうと、見下される側に非があろうと、見下す働きかけをした瞬間、見下された相手から復讐心を持たれることになる。
これは、男女関係なく起こる現象である。
たとえば、ある女性が一人の勘違いした男性に好意を持ったとする。
女性は、何とかして男性の気分を良くしようと、色々尽くしてしまい、勘違い男性の生来の傲慢さを増長させてしまう結果になる。
彼はその女性を『思いのままに扱ってもやり返される危険のない存在』と判断し、安心して自分勝手に振る舞うようになった。
いつしかその女性は、その男性に対して、強い強い殺意を抱くことになるだろう。
女性も、男性を見下すことがある。
その背景には、
「過去、男性に傷つけられたことのトラウマ」
「何にもわかってない男性たちが、無自覚にポロポロ落とすゴミを拾う役目を負わされるのが女性である。ストレスが溜まるから、見下さないことにはやってられない」
など、切実な理由があるかもしれない。
女性が男性を見下すとき、多くはこうなる。
・見下す男性がいないところで、見下す
・その場でやり返される危険性のなさそうな状況が整ったとき、男性の目の前、あるいは声の聞こえる範囲で、見下す
ぼくは後者を何度かされたことがある。
ぼくの場合、見下されてしまった自分自身にも大いに非があると思った。
そもそも、何でわざわざ見下されてしまうのか。なぜ、わざわざ聞こえる範囲で陰口を言われてしまうほど、その女性にストレスを与えてしまったのか。なぜ、やり返される危険がないと判断されたのか。そこを考える必要がある。
見下した人だけが悪いわけではない。
ただ、当時ぼくが抱いたその女性への強い強い殺意は、4年以上経った今もずっと消えずになくなってくれないーーーーーーなんて、思っていたときだって、ありました。
どのような場面においても、相手を見下さず、見上げず、一定の緊張状態でもって対等に正対することが大切だと、最近、身に染みて感じています。
復讐心を抱いてしまうのは、相手と正対することを怠った結果とも言えますね。
信じたいように信じることが、”情”に繋がる
幻の命 〜君を忘れない〜
hiro『clover』について
SPEEDのhiroさんがその昔、アニメ『ブラックジャック』のエンディングとして歌った『clover』という曲が大のお気に入りです。
いつ聴いても、「このメロディー作った人、才能豊かすぎるだろ」と思います。
【関山弘之】という方が作曲したそうです。
さぞかし、売れっ子作曲家として活躍してるんだろうなあ、と思ってググってみたのですが・・・
彼の情報が一切出てこないんですよ。
Wikipediaにも載ってない。
唯一、『clover』の収録されているhiroさんのベスト盤の歌詞カードに、同曲の解説が書いてあったのですが、ここにだけわずかな情報が書かれていました。
関山さんは、曲の制作当時、新人作家だったらしいです。
最初に彼が持ってきた『clover』の音源は、今世に出ているものとは違って、壮大なアレンジのゆったりとしたバラードだったんだとか。
でも『ブラックジャック』のアニメタイアップが決定してから、アレンジや歌詞をピノコ風味に再度作り直したらしいです。
世の人々は作り直したあとのピノコ風味『clover』しか知らないわけですが、もしかしたらそれって、関山さん的には遺憾だったんじゃないでしょうか。
関山さんの心や、現在何をしているかは今のところ妄想するしかありません。
ただ、これは関山さんの気分を害すかもしれないと覚悟しつつ書かせてもらいますけど、
関山さんが『clover』以前またはそれ以降に創ってきたであろう他の曲も、ぜひ聴いてみたいなあ・・・と思ったりします。
ラーメンズの罠について
最近、
「ラーメンズの罠」
に気づいてきました。
ラーメンズにハマって、
ラーメンズの創る芸術的なコントに魅了される人は、
年々、増加し、後を絶ちません。
彼ら彼女らは、ただハマるだけに留まらず、
「自分もあんなコント創りたい!」
「コバケンみたいにパントマイムとかしたい!」
「舞台装置一切なしで劇をやりたい」
「コバケンみたいに滑舌よくなりたい」
なんていうことを夢想します。
実際、努力をし始める人もたくさんいます。
コバケンの真似から始まって、
パントマイムの本とか買って、
ラーメンズっぽい感じの笑いを散りばめた脚本を創ってみて……
……結果、
彼ら彼女らは、ラーメンズ的な笑いを創るために、どれだけ、どれだけ、どれだけ、どれだけ、どれだけ、大変緻密な努力をしなくてはならないか、思い知ることになります。
ラーメンズの笑いは、外面だけ真似ても【確実に】スベります。
オリラジの武勇伝やはんにゃのズグダンズンブングンゲームのように、簡単に盛り上がったり笑いがとれたりするような、「シンプルな笑い」ではないのです。
ラーメンズのコント内にあるネタは、【そのコントから離れた瞬間に、面白くなくなるのです。というか、ネタとすら認識されないのです】
ラーメンズのような感じのパフォーマンスをすることは、難しいです。
そもそも、笑いを取ること自体、とんでもないくらい難しいです。
ラーメンズにハマって演劇やコントや何かしらのパフォーマンスを始めた方は、いずれそれらの事実に気づきます。
そして、ラーメンズを外面だけモノマネしてた時期を恥じ、黒歴史として封印したいと思います。
そこから、本当の意味でパフォーマンスと向き合い、自分と向き合い、自分の表現を真剣に突き詰めようと思えるか。
実際に突き詰められるか。
ここからが本当の【始まり】になります。
その人がどういう表現をしたいのか、それは世の中に受け入れられるのか、人にどう見られたいのか……などなど、考えるのです。
コバケン自身、ダウンタウンに憧れて「まっちゃんになりたい」と思ってお笑いを始めたそうです。
現在、コバケンのパフォーマンスから、ダウンタウンの色は(一見)ほとんど感じられません。
コバケンはたまたま、ダウンタウンの他にも、マジックが得意だったり、言葉遊びが好きだったりしたから、ああいう感じになったわけです。
☆即興ストーリー 愛って何?
「君に教えよう。愛というのはな、永遠不滅のものであり、素晴らしいものだ! そして、愛さえあれば、何もかもが完結するのだ。All need is love! 愛さえば何でもできる! おお! 愛は魅惑のエクスプロージョン!」
欧米人のような大げさな身振り手振りで、岡田くんは言った。私は、彼がすごく馬鹿だと思った。
「あっ、そう」
私はそう吐き捨てた。うつむいて彼から目を外した。
「いやあ。なんてつれない反応をするんだマイハニー! これから僕と踊らないかい?」
岡田は私の手を取った。
「馬鹿じゃないの?」私は手を払いのけた。
「Oh・・・・・」
と、岡田は悲しそうな表情で悲しそうな声を出す。
「なんでわかってくれないんだマイハニー」そもそも、私あなたのハニーじゃないし。男って単純。
・・・・世の男も、岡田ほど単純じゃないはずだ。なぜ、タイタニックを昨日観ただけでこんなにロマンチックな気分になれるのだ。
いきなり、岡田が私の手にキスをしていた。
「は!?」
私は、いつのまにか毛虫を触っていたときするような反射的な動作で手を素早くひっこめていた。時速300キロは超してそうなくらい速い手つきだった。
彼の目を見てゾッとした。彼の目は、とても潤んでいた。私を、とても愛おしげに見つめている、雰囲気を出していた。
「わたしには、君しか見えないんだよ。さあマイハニー、結婚しよう」
私は思いっきり岡田の頬を平手打ちした。パーンッ、と、本当に響き渡る音がした。我ながら心地が良くなったくらいだ。
岡田は頬をおさえながら横を向き、そして目だけこちらを見て言った(本当にキモいポーズだった)。
「なんでだい?ハニー。どうして、僕を気に入らないんだい?」
「教えてやろうか? それはな、てめえの言う愛が大っ嫌いだからだよ! てめえの愛は、自己完結なんだ。自己満足なんだ。愛情を自分の中に感じたらそれ即ち『愛』だと勘違いしてるんだ! 本当の愛っつーもんはな・・・・・ものすごく、難しいものなんだよ。伝わろうとしても、伝わらないんだよ。その状態を良しとして、相手に伝わらない状態を保つことをしなくちゃいけないときもあるんだよ。・・・・・ただのロマンチストに、本物の愛が実行できるもんか・・。理想ばかり語りやがって、簡単に感情移入しやがって。てめえみたいな社会能力に欠けたやつに愛を注がれたって、全然幸せにはならねえんだよ!」
最後の方は、言っていて心が痛んだ。なんだか、ひどいことを言っているような気がした。
岡田は、舌打ちをした。
「死ね」
そう言って、踵を返し私の許から去っていった。
私は・・・・・・・・すごく悲しくなった。
何でなの? 何でなの? 私のどこが悪いの? だって私は、正当な意見を言っただけじゃない! 言い方が悪かったかもしれないけれど、でも、今までも私は、岡田にそういうようなことを、今より優しい声音と言い方で、何度も何度も言ってきた。それでも岡田は、相変わらずあんな感じで、何にもわかってなかった。それで、今日、本音を的確に言ったら、なんか暴言を言われて、つーか「死ね」って言われて、去られた。私は・・・・・岡田のことが嫌いではなかったのに。。。。。。
なんで・・・・・女なんかに生まれてきたんだろう。
男が鈍すぎるがゆえ、何も伝わらないし、何もわかっちゃくれないし・・・・・。
それでも、女は男が好きになる。好きにならなくちゃいけない。好きになるよう宿命づけられている。
損で、救いのない決まりだと思う。。。。
でも・・・・・やっぱり・・・・・最終的には、「愛」にすがるしかないのかな・・・・・・と思う。
女は、辛い。
☆即興ストーリー 透明な花火
清らかな水が、ガラスのコップに、ポタリ、ポタリと一滴ずつ落ちる。
一滴落ちるたびに、ポタン、と音がする。
一滴落ちるたびに、コップに水が少しずつ溜まる。
一滴落ちるたびに、コップに溜まっている水がゆれる。
一滴落ちるたびに、世界中がしん、とする。
僕はコップを見るのをやめて、顔を正面に向ける。
コップの向こう側にいる、君を見つめる。
制服を着た君。肩までの黒髪に、ブレザーとミニスカート。少し斜め下にうつむいて、僕から視線をそらしている。教室に、君の姿はとても映える。
君の目は、いつもと同じ。まるで猫のように、自分の中を見つめている。
僕は、唇を震わせながら、「・・・好きだ」と言った。
水が一滴落ちる。世界がしん、とする。
君は、変わらず注意の半分を斜め下へ逸らしている。僕のことを見ようとしない。
「・・・・・・・・・ダメ」
君が言う。どうしてだろう。
「なんで?」
僕が訊く。ポタリ。また世界がしん、とした。
「・・・・・・・・・・。」
君が黙る。表情は変えない。相変わらず、斜め下を見つめたまま。
「どうして?」
「どうしてって・・・・・」君にもわからないのか。
ポタリ。世界がしん、とする。
・・・・・・・もうだめだ。
僕は水の入ったガラスのコップを、両手を組んで作ったハンマーを思い切り振り上げて、振り下げて、バリン!と割った。透明なガラスが透明な水と共にはじけ飛ぶ。とても澄んだ破片が飛び散った。僕の頬をかすめて、頬から血がタラリと流れた。
「なにしてんの!?」君が声を裏返して叫んだ。そのキンキンした声を鼓膜で受けても、僕は何も感じない。
僕はうつむいて、棒立ちになった。どうしたらいいのかわからない。飛び散ったガラスと水の花火模様を見つめていた。
どうしてだろう・・・・・・。どうしてだろう・・・・・・・。
☆即興ストーリー ペットボトル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ペットボトルがあったから捨てようと思ったんだ。
中身は空だった。だから、捨てようと思った。
だが、、、、、、、捨てられなかったんだ。
その瞬間に、世界が破滅したんだ。
落とし穴のある地面を踏みしめたときのように、僕らの立っている地面が、前触れもなくいきなり下へ抜けたんだ。
とてつもない土埃を立てて、一気に底抜けた。
下には、とてつもなく大きい穴があった。とんでもないくらい深くて(永遠に底がない穴であることが、なぜか一目でわかった)、とっても暗い穴。
それまで地面の役割を果たしていた床は、無残にもボロボロに崩れて、その穴に落ちてしまった。
最初は僕は、地上に立っているかのような感覚が残っていたが、次の瞬間には重力を受けて降下していた。エレベーターが下に下がるときの、60倍くらいの強引さと速さと空気抵抗の威力を感じた。
ヒュン、と、落ちた。
なぜだろう・・・・・・。
その時僕は思ったんだ、、、、、
「なぜペットボトルを早く捨てておかなかったんだろう」、と。
僕の部屋にあるマンガや食器棚と共に、僕が捨てようとしたペットボトルが宙を舞って、下へ落ちていく。
思わず手を伸ばす。
しかし、すでに5メートルは距離があった。ペットボトルはそのまま、結婚指輪が落ちていくかのような情緒で、穴へ落ちて行った。
僕は思った。「何でだろう」
「何でいつも、僕は大切なものを手を伸ばして取ることができないんだろう!!!!!!!!!」
すると、体が上を向いた。空気抵抗だろうか。
さっき前触れもなく開いて僕の部屋を落とした、大きな穴がポッカリと開いていて、太陽に満ちた明るい曇り空が見えた。
たぶん、今日は雨が降らないだろう。
頭上の斜め上から、大きなものが迫ってくる気配がした。
「ドゴン」と、頭に衝撃があった。
衝撃の瞬間、僕の目は真っ暗になった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この宇宙に、本来「理論的な思考」は存在しなかった。
この宇宙に、本来「理論的な思考」は存在しなかった。
大昔、人類が数学、哲学をやり始め、学問として体系化した。
初めの初め、学問は、「人は本能だけではうまく生きていけないから、うまく生きるための道具としてこの学問を使おう」という意図から生まれたはずだ。
いつしか、上の意図を外れ、「学問は道具ではなく、人生そのものだ」と教えたがる人が発生した。
学校にて、学問を子供たち全員に一律に「必修」として教えた結果、理論思考先行の人間がどんどん増えていった。
「感性・本能ではなく、理論で物事に接する」ことを、人生の基本姿勢とする人たちがたくさん増えた。
プラスチックの上に種をまいても、芽は出てこない。
理論から離れて、感性・想像力を養うことも大事だと思うよ。