綱渡り

 

 

これは、一体、いつまで続くのだろう。この状態に慣れたい。ただ、なかなか、慣れない。

 

腰から、こめかみにかけて、重く、緊張が溜まっている感じがする。ストレスだ。そんなに、過酷な毎日を送っているようには思えない。しかし、こんな感じとなっている。

 

むしろ、周りには、だんだん恵まれてきた。

そうして、そんな、恵まれた環境へと、己を置くための理性的な忍耐の数々だったのだろうか。

忍耐ばかりをして、日々を、暮らしたいわけではない。忍耐は、ただの手段だ。何かしら、無理のない過ごし方が、あるはずなのに。

 

将来は、何一つ、保障されてはおらず、なぜ、小説なんていうものを書いているのだろうという想いは、いつまで経っても消えない。

好き勝手暮らすことそのものが、肯定されるべきではないとすら、今になっても、感じてしまっている。

 

どこまで、自分で自分を追い込めば良いのだろう。

そんなことは、特段、誰から指示されたわけではない。自分で考えて、自分なりの処世術を、身につけようとした結果だ。もはや、どのようなことをぼくが忍耐しているかということを、ぼく自身が見失ってしまって、説明することが困難だ。全てを説明しようと、もうすぐ、丸3年が経つ小説の執筆だって、どこまで、推敲すれば良いのだと、自分で、自分に、呆れることがよくある。

 

簡易的な自己肯定を放棄して、いつそれが達成できるのかも分からない社会貢献を志して、それにそもそも潰されてしまって、周りからは、何を、どうしようとしているのかを理解されることはできず、それをそもそも説明することができず、布団に入って、何もできず、ただただ、回復することを待っている。

 

何をやっているんだろうと思う。

 

そうして、自己を本質的に否定することなど敵わず、最高に大切なのは自分自身であって、結局は、大して体調が悪くないのに動悸がするからアルバイトを休むことだって、そういうことを否定してくる勢力からの攻撃には、言い応えはできないけれどもいつだって足を引っ掛けてやろうと隙を伺っている日々である。

 

何をやっているんだろうと思う。

 

卑怯な人間だということは、自分で、一番、分かっている。

 

でも、自分が抱えている悩みは、とても切実だとも、考えている。

たとえ、誰もが悩んでいることであろうと。

 

何を、悩んでいるんだろう……………。