報われない状態の中の幸福。
電気グルーヴ『N.O.』より
学校ないし 家庭もないし 暇じゃないし カーテンもないし 花を入れる花瓶もないし 嫌じゃないし カッコつかないし
家にしっかりとあるカーテンを除けば、全てが我が身のことである。
長きの間、報われないまま、生活している。
主な "報われない" ことといえば、依然、気軽に遊びにいける友だちがあまりいないということと、男女関係においても孤独であることと、小説がなかなか完成しないことである。
身体的な何かに訴えて、有機的な変化を読者に同じように体験してもらう文章を書こうとすると、死にそうになる。
いくら書いても、理屈も、感情も、実感まで追いつかない。気が狂いそうである。執筆期間がそろそろ丸々3年になってしまう。
これを描ききれないと、我が内心に潜むクレーマーが………『こんなヤワい表現では、少なくともオレは救われないぞっ!』みたいに文句を垂れる………骨の折れる日々を送っている。
「早く書き上げてしまいたい! お金たくさんほしい! さっさと有名になってしまいたい!」
という、承認欲求、簡単に生きてしまいたい欲求との闘いがかれこれ2年9カ月は続いている。
結局は、まあ、良心に背かないということだけが、我が、報酬であって、書き上げたとして、あまり多くの人から賛辞を得られたりはしない気はしている。
でも、確実な評価は、得られるはずだ。
そうして、確実に、人を (その人の力で、結果的に) 救い得る作品には、なるはずだ。
本で救われるわけではないと気づいてしまった賢い人たちへ、今の、書いている小説を届けたい。
そうして、ぼくの小説を媒介に、良い活動をしている人たちを紹介して、
「こんな活動が世にはあるんだから、お前だって、賢さに甘んじて、文句垂れて人生空費してるんじゃねえよ」と、無言の内に伝えたい。
***
とある川沿いの街にある、SLOW HOUSEへ行った。
こんな机の上で、いつか、原稿を書く日々を送りたいものだと思う。
シンプルなデザインの、しかし、10年以上付き合えそうな商品としてのクオリティーの高さが垣間見える、相変わらず、良い品々ばかりだった。
雑貨や衣服に興味を持ったのは、6年前で、最近、やっと、自分の部屋の内装と、自分の見た目が、嫌いではなくなってきた。
そもそも、雑貨、衣服………買わずとも、生きていけるものだと考えてきた。
本質的では、ないものだと、考えてきた。
しかし、今では、だいぶ、それらに日々を救われている自分がいる。
人間というものは、変わるものだと思う。
長きに渡った、報われない期間がなければ、この、丁寧な暮らしの良さが、果たして、わかることができただろうか。
ぼくには、やりたいことがある。
世の中に、広く、発信したいことがある。
大いなる、目標がある。
そうして、あまりにも、それが、大いなる達成だから、達成しようにも、難しい、日々を今、送る。
何か、具体的な形として表せるような目標ではなく、ブッダとか、老子とか、そういう感じの方向なので、説明が難しいからなおさら性質が悪い。
そうして、それに死にそうな日々を送る。
叶わないことへ、腐っていても始まらないのだ。なぜなら、腐っていては、本当に、内部が腐ってしまうからだ。
だから、腐らないために、雑貨に手を出す。好きな衣服や小物を、身につけようとする。
こういう、日々の楽しみ方を、どうして、あのときのぼくは、分からなかったのだろうか。
分かりたくはなかった。
分かっていたら、分かっている人たちの、邪魔には最初からならなかったじゃないか。
だから、ぼくは、分かっていた人たちの、保全領域を、平気で害すような人だったのだ。
無神経になりたかったから、無神経だったわけではなかった。
優しくなれるならば、優しくなりたかったと思う。
でも、ぼくは、優しくなかったのだろう………………。
SLOW HOUSEでは衣服も売っていたから、見てみた。
好きなデザインのズボン (ボトムスと言った方が良いの?) を見つけた。
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普段着とも、部屋着とも、パジャマとも付かない、柔らかい印象を与える、当然、穿き心地も柔らかなものだった。
まさに、ぼくが求めていたシルエットと材質、そのものだったのだ。
「いかがですか?」
試着室のカーテンを開けると、店員さんが、声をかけてくれる。物静かな、女性の方。
「素晴らしいですねえ………」
30%OFFで、2万4千円だった。だいたい、ぼくの家の家賃とほぼ同額だった。
素晴らしいけれども、買えない旨を、伝えた。
この店員さんとは、この服を試着する前も、ぼくが店内を回っていくつか小物を気まぐれに手にとっては、時折、ぼくに近づいて説明に来てくれたりと、素敵な接客をしてくれた方だった。
全く、押し付けがましくなく、このお店の商品のデザインと同じく、シンプルで、束縛させない接客をしてくださったと思う。
その度に、ぼくは、お金を持っていない、買えない、でも買いたくてしょうがないと、どうしようもない本音をつぶやいては、店員さんを困った笑顔にさせていたのだった。
試着室の前。
ぼくは、その店員さんと、無言の内に、笑い合っていた。
そうして、ぼくは、店を後にしたのだった。
そう言えば、以前、温かみのある木を使った、ぼくの愛する雑貨店のHacoaでコルクの財布を買ったら、女性スタッフさんの接客が丁寧で温かみのある素晴らしいものだった。
ちゃんと、こちらの目を見て、本当に誠実に、Hacoaの商品を心から自分も良いと思って、ぼくに勧めてくれていた。
あまりにも素敵だったから、思わずお茶でもどうですかと誘いたくなってしまったくらいだ。
誘わなかったけれども。
「お茶でもどうですか?」なんて誘いの言葉を、『自分は気持ち悪いから、使ってはならない』と、ずっと決めていたけれども、、、、、、、
目の前のこの人は、以前、ぼくがどれだけ、初対面の人に対して挙動不審であって、小学生時代クラスで途方もないストレスによって泣き叫んでは辟易されたり嘲笑をされた過去があって、高3で同じクラスの人たちからはぼくの名前が出ただけで笑いが生まれるような存在だということも分からないのだろうと思う。
***
飢えておらず、今はいじめられてもいない。
生活は豊かだ。
人と接することは楽しい。
死んでもいない。
おかげさまで、小説を含んだ、生きるためのスキルはどんどん貯まっていく。あとは時間との闘いだなあとも思う。
とりたて不幸でもない。不満があるわけでもなく、むしろ、今はもの凄く、周りに恵まれているようにも思う。
今日も、疲労という理由でアルバイトを休んだ。
疲労が溜まっていたのは本当だ。
アルバイトの業務内容が、その疲労の要因ではないことは、分かっている。
むしろ、「吉田くんの好きなことをやってください。本当に、頼むから、好きなことをやってください」と、むしろ、社長の方からお願いされるくらいである。
こんな職場、他にあるだろうか? 少なくとも、ぼくは、初めてだ。
疲労の要因は、ただの、日常生活にある。
この文章だって、とても、感情を抑制したものである。その、感情を抑制するための働きが、ぼくを、蝕んでいるわけだ。
"心の風邪"でアルバイトを何度も休んだり、誰から依頼されたわけでもない小説を書いたりして暮らしているぼくが、果たして、ワガママ者なのか、クソ真面目なのか、自分でもさっぱり訳が分からず、途方に暮れてしまう。
どこまでぼくは、深く潜らないとならないのだろう……………。
分かりやすい成果は、なかなか得られない、なかなか、現状は、思い通りにいかず、全体的に、何とも言えず不満なのは、自分の問題なのだろう。
しかし、仕事では、黙って手を動かすべきだろう。
人間関係では、笑って、己のエゴを処理する他ないだろう。
そうして、そんな感じで生きているからこそ、突然、休んだりするのだろうか……………。
解放されたいと思う。
何から、解放されたいのだろうか。
土台作りは続く。