孤独

恋人は、いたことがない。

 

ソープランドに行って、童貞を捨てたことがある。

 

物質的な肩書きを、注視していた愚かだった自分が過去にはいる。
これからも、その自分が、登場することもある。

 

色情的なことにおいても、人々は憧れるのだけども、あってもなくても良いように思う。

 

そんな風に悟りすましても居られないほど、欲望に苛まれることもあるけど。

 

色情的なことというのは、切っても切っても、そもそも自分から切ることはできない。

 

ナンパ師に憧れてきた。

 

ぼくの好きな元ナンパ師の人は、「自分は狂ってるから、同じようなことをしてはならない」と発言していた。

 

その人は実際に、ほとんど依存の泥沼に陥っていたようだった。

 

「ナンパをしたい」という欲望には、様々な要素がある。その行き詰まりをどうにかするための方法として、決して、ナンパが唯一ということではないのだろう。

 

行き場のない感情は、暴走する。

 

更に、否定された方へと突き進んでやれと、自暴自棄にもなる。

 

孤独なときは、色々なものが味方になる。
でも、独りのままでも、良いと思う。

 

孤独は、悪くない。
むしろ、孤独は、存在しては駄目なものではないと思う。

 

孤独とは、暖炉のように、丁寧に深めることもできる。

 

受け容れられるのであれば、受け容れよう。

 

眠れない夜、独り、迎える、早朝の日射しの、部屋に射し込んでくるときも。

 

独り、そのまま眠ってしまいそうなほど、保護された暖かさの喫茶店などの場所で、手淹れによる温かい飲み物を貰うときも。

 

もしかすると、世の中において、やらなくてはいけないことって、そんなに多くはないのではないだろうか。