不完全な存在。

不満なことは、沢山ある。

 

それは、主に、自分自身の中にあると言えるだろう。やはり、結局、自分自身が原因だったかと、思うことは多い。自分自身"だけが"でも、自分自身"も"でもなく、そうである。
やはり、それ相応の、弱さや、歪みが、自分にもあったのだなあと思う。

 

不完全な人だらけ。
もちろん、自分自身もそう………そもそも、誰しも不完全だろう。
それに、誰しも、少しずつ、気づいていくはずだ。
「ああ、自分とは、こんなにも、不完全な存在だったのだろうか………」と。
そう気づくことは、本当に残念なのだけども、それでも、少しずつ、自分が、そういう存在だったのかと、気づく。

 

受け容れるのに時間はかかるけども、少しずつ、そのことに関する、内奥の、心の動きのルーティンに、気づき始める。
そうすると、少なくとも、弱く、どうしようもない自分のままで、とにもかくにも、死ぬまで生きるための、対応策は、わかる。
こういう人間だと、気づくことで、こういう人間であるからこそ、ここを気をつけようと、思うようになる。『こういう人間』である、赦すことのできない他者、自分自身を、弾劾すればするほど、少なくとも、硬直化は進む。

 

硬直化したところで、世の中を見ることにおける、解像度が上がるわけではない、ということとなる。
『こういう人間』を、受け容れるようになるほど、世の深淵を見る。