ずっと書き続けてきた小説

2016年9月から、がっぷり四つで取り組み続けてきた小説が、ようやく、物語の始まりから、結末までの筋が一本で通った。

 

つまり、やっと、完成の目処が立ってきた。

 

ここまで長かった………何度、鬱に陥ったことだろう。
小説を、書くことを正直ずっと肯定することができなかったし、しかし、とはいえ、小説を書くことに、人生を捧げていたことは確かだった。

 

半端なモノは絶対に作らないぞと、言葉のチョイスの一つ一つを『これで本当に良いのだろうか』と疑い続け、筆が乗って楽しくなりながらたくさん文字を書き連ねた翌日、原稿を読み返してみると、そのほとんどをスクリーニング (除去) せざるを得なかったことを何度も何度も繰り返し続けた日々だった。

 

小説の内容は、二転三転していった。
何度も、『これ以上、思い浮かぶことができない』という、確かな壁へと行く手を阻まれて、頭を抱えて、うめき声を上げざるを得なかった。

 

しかし、鬱に夜更けを絡み取られ、布団でただただ、何も考えられず天井を見ることしかできずとも、その翌日は、朝日を浴びつつ、少し回復したような意識で、ふと、行く手を阻んでいた壁からの、それまで見たことがなかったところにあった抜け道の存在に、気づくことがよくあった。

 

鬱は、しっかりと苦労が報われるための、洗礼であり、通過儀礼のようなものだったのだろう。

 

それにしても、無茶をしてきた。
そもそも、このような出版不況の中で、ただでさえスマホの台頭もあって長い文章を読むことが、世の人々の習慣から離れてきているとそこかしこで言われているのに、わざわざ、小説家なんていう、もはやニッチでレアなギャンブルの職業に就こうとしていたのだった。学歴や、資格、就業経験などの後ろ盾すらも、どこにもない。
書き始めた当初、文筆における実力を揺るがないものであると他の人から肯定された経験など、殆どなかった。

 

コミュニケーション不全であり、一人でもしものためのお金を稼ぐ能力などどこにもない、アルバイトでひいひい言っていた、どこからどう見ても庇護されるべき社会的弱者だったと思う。

 

今もなお、弱い生き物だと、自分のことを、思う。

 

この作品は、そもそも、出版するための確約が、どこからされているわけでもない。

 

ただの、一介の素人による手作りが、誰かから求められるものなのだろうか。

何もかもが、判らないけれども、それでも、書き継いではきた。

 

これまでの人生、本当に、大変だったし、でも、救われようもなかった。

 

そういうことを、ようやく、小説の執筆という箱庭療法で、受け容れていけそうだ。

ただ……今年はまだムリかなあ。

 

まだまだ………商品になるには………調整が必要そうです………。