案外、可能性は開かれていた。

自分の半径5メートル以内を最適化することだけ日々を費やして、部屋も、服装も、文体も、体の動かし方も、至らないけど仕事の仕方も、それなりに好きになり始めてきたし、コミュニケーションとかも少なくとも自分なりのを確立し始めたけど、そう言えばぼくは今後車を運転できる可能性もあると気づいた。

 

先日、タイで二人で3万円はする高級ディナーを食べて、最初のお通し的なものに、少量のワインが入っているものがあって、それを食べたら心地よく明るい気分になった。どうやら、アルコールも適度であれば楽しめそうだ。ワインは最近、アルコールを始めるのであればワインだなあとは思ってはいた。

 

また、タイには日本車が一杯あった。バンコクからアユタヤまでのタクシーもTOYOTAだった。街を歩いてたらHONDAの大きな販売店もあった。
実家には昔HONDAの水色のオデッセイがあって、よく家族で一緒に乗っていた。母の運転はなるべく高速に乗らない消極的なもので、父はたまに公道で100キロ出してた。

 

そういうのって、確かに、今はお金がないからできないけど、これまではあまりに消極的で、少ないお金でいかにそれなりにお金ではない豊かさでもって暮らせるかを考えてた気はするが、いや、意外と、これからは全然ドライブとかしてしまうかもわからない。築いてきたのは、自分の美意識であり、軸だった。

 

しかし、可能性はもっと広げられるものではあった。
たしかに、それまでの状態では、たとえ、物質的な可能性でもって広げて広げて、広げていったとして、頭打ちには絶対なって、それは、どこか、自分たちの足元が見えていない感じがあったからだ。
しかし、免許は、取ろう思えば取れた。

 

最近、新しく作った眼鏡は、店員さんの薦めで、「値段は変わらないから」と、一応、車の免許も取れるくらいの視力になるよう、度数の調整をしてくれていた。

 

また、今日、スーパーへ行ったら、(普段は全く、自分のためにあるものだとは少しも感じられていなかった)お酒の、ワインがあるゾーンにて、日本ワインが税抜き1,600円だとか、2,000円だとかで、何というか、いつでも買えないことはない感じだった。

 

その気になれば、チベット語講座も(たしか)町田で開かれてるわけだから、お金を払って、受講することができるはずだった。

 

 

 

 

 

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