チベットへ一体何を求めていた?

チベットに何を求めてるんだろう…………。

 

「決して、何かをぶっ壊すようなことをしたくはない。
平穏で、暖かい日々を欲する。
でも、あるがままに、自由に生きたい。」

 

それらの理想を内包して、まるで、叶えているかのような世界の象徴のようなものを、チベットに、ものすごく勝手に、託していたわけです。

 

あるがままを希求する=制度をぶっ壊す、では、全くないと信じています。

 

そんなに、悪いことをしたいとは思わないです。
だから、それなりに自由に、生きさせてほしいなあと常に世界に対して、思っています。

 

(ちゃんと、『若気の至り』は、誰しも、通過する必要があるのですから………………………)

 

まあ、結論から言えば、今、現時点で、けっこう自由に生きさせて頂いているなあという気はしますよ。

 

願わくばそれが、永遠に継続されて欲しい………………………。

 

味わう不幸や幸福は……………それなりに感じてスルーできるくらいの………………軽い、浮き沈みだけで………………良いです…………………………。

 

たとえ、どのような状況においても、たとえば、チベットの人たちが、ポトラ宮のあるラサから何千キロも離れたところに位置する自分の住んでいる村から、五体投地で、数ヶ月かけて、その、長い道のりを踏破するように…………………。

 

そんなに、悪いことをしないで、平和に、素朴を感じて、生きていけないかと考えております…………………………。