10年後。

10年後、どうなっているだろう。

 

たぶん、今よりもっと、静かになっているはずだ。

 

今より、きっと、余裕のある暮らしをしている。

 

色々なものを排して、調度の取れた、服装と、人間関係と、異性のパートナーと、部屋の内装となっている。

 

きっと、粛々と、日々、自分の書斎で、文章を書いている。
そこで、パソコンのキーを叩いているイメージは、浮かんでこない。

 

恐らく、どこかの戦地で苦しんでいる子どもたちへの、手紙のようなものを書いている。

 

ペンを持って、紙にインクを染み出させて、文字を、少しずつ、書き継いでいる。

 

パートナーは、僕のことを、尊重してくれている。
もちろん、僕も可能な限り、そのパートナーのことを、尊んで、生活はしているつもりだ。

 

家族と落ちついた関係を保ったまま、それぞれをお互いに労り合って、その時、子どもが居るかどうかは、解らないのだけれども、たぶん、とても幸福な生活をしている。

 

しかし、手紙の向こうで広がっている世界と、どうにか、こうにか、繋がっていこうとしているときは、たぶん、あまり、幸せではなかった。

 

世界において、あまり、労られない人というのは、居て、そういう人たちは、周りの、日々の過酷な暮らしに、一杯一杯になっているような人たちからは、邪険に扱われて、捨てられている。

 

そんな邪険に扱われている人たちに届けられる愛だって、ある。

 

安全地帯にいるからこそできる、社会貢献がある。

 

そのとき、僕はある程度幸福ではあるが、ある程度、不幸でもある。
そうして………その逆も、言える。

 

大変な状況にいる人たちのことを、誰も彼も、僕は、救うことができなかった。
そんな余裕はなかった。
超人でも、何でもなかった。

 

安全地帯に留まざるを得なかった。

 

そんな僕の捧げている愛が、その人たちにとって、嗜好品くらいにはなれたら良いなあと、本当に、思って書いていた。

 

そんな暮らしをしている、35歳のこと。