覚醒。
お金がない、という状態でいることに、疲れてきた。
また、お金がないからアルバイトを入れる日を増やさなければならない、という不文律に従うということにも、疲れてきた。
また、ぼくは社会不適合者なのだから、ぼくの思う、社会適合者へと、相成ろうと、自分の特性を全否定しながら、頑張っていこうとすることにも、もう、ようよう、飽きてきた。
社会不適合で、勝ち組でも、成功者でも何でもなく、特に、これといった秀でた何かがあるわけでもないという自分が、この、出版ド不況の時世において、小説を書くだの何だのと、何をいわんやとずっと自分で自分のことを思い続けてたのだけれども、もう、そういうことにもようよう飽きてきた。
今日、かもめブックスさんで岡崎京子さんの『PINK』を初めて(一話だけ)読んで、ああ、多くの人たちが、岡崎さんという作家のことを神聖視というか、伝説みたいに語りつぐその理由が、分かったような気がした。
帰り道、電車で何となく小沢健二さんを聴いていると、これまで、どうすれば楽しめるのかがはっきり言うとよくわからなかった(それゆえに、コンプレックスがあり、ぼくの中でも、精神的な、目の上のたんこぶのような存在だった)『Life』の楽曲群が、初めて、素直に、全曲、感性に入って染み入っていくような感じがしたのだった。
ぼくは、少しも、勝ち組とか、そういう風には現実社会ではなれなかったから、他者を、勝ち組(=幸福)へと、導くことができない、そんな文章を生み出す必要など、今の世界に対して、どこにも、存在しないような気分だったのだけれども。
でも、勝ち組(=幸福)には、ぼくは、(けっこう、本当に、沢山の試行錯誤を経てはきたのだけれども)なれなかったからこそ、社会に対して、全身全霊で問いかけられるような、そんな、かなり際どい(読む人にとって、試されているような気分となる)『問い』のようなものを、叩きつけられるのではないのだろうか?
そうして、ぼくはそもそも、妄想好きだったじゃないか?
それなら、もう、、、フィクションを、一から、バンバン、書いていこうよ。
・・・・・・と、岡崎京子さんの『PINK』の、第一話を読んで、その、軽いタッチのような絵と、それに反するかのようなテーマを思って、感じられたのだった。
10年後。
10年後、どうなっているだろう。
たぶん、今よりもっと、静かになっているはずだ。
今より、きっと、余裕のある暮らしをしている。
色々なものを排して、調度の取れた、服装と、人間関係と、異性のパートナーと、部屋の内装となっている。
きっと、粛々と、日々、自分の書斎で、文章を書いている。
そこで、パソコンのキーを叩いているイメージは、浮かんでこない。
恐らく、どこかの戦地で苦しんでいる子どもたちへの、手紙のようなものを書いている。
ペンを持って、紙にインクを染み出させて、文字を、少しずつ、書き継いでいる。
パートナーは、僕のことを、尊重してくれている。
もちろん、僕も可能な限り、そのパートナーのことを、尊んで、生活はしているつもりだ。
家族と落ちついた関係を保ったまま、それぞれをお互いに労り合って、その時、子どもが居るかどうかは、解らないのだけれども、たぶん、とても幸福な生活をしている。
しかし、手紙の向こうで広がっている世界と、どうにか、こうにか、繋がっていこうとしているときは、たぶん、あまり、幸せではなかった。
世界において、あまり、労られない人というのは、居て、そういう人たちは、周りの、日々の過酷な暮らしに、一杯一杯になっているような人たちからは、邪険に扱われて、捨てられている。
そんな邪険に扱われている人たちに届けられる愛だって、ある。
安全地帯にいるからこそできる、社会貢献がある。
そのとき、僕はある程度幸福ではあるが、ある程度、不幸でもある。
そうして………その逆も、言える。
大変な状況にいる人たちのことを、誰も彼も、僕は、救うことができなかった。
そんな余裕はなかった。
超人でも、何でもなかった。
安全地帯に留まざるを得なかった。
そんな僕の捧げている愛が、その人たちにとって、嗜好品くらいにはなれたら良いなあと、本当に、思って書いていた。
そんな暮らしをしている、35歳のこと。
殺意
誰も、向き合ってくれなかったんだ。
助けて、くれなかったんだ。
せっかく、どこまでも、どこまでも、コミュニケーションできるように努力してきたのに。
誰も、俺の悩みに対して、向き合ってはくれなかったんだ。
俺の悩みを、見殺しにしてしまったんだ。
俺の悩みを………………受け容れられなかったんだ………………。
「誰も、あなたの悩みのことになんて興味がないよ」ということに類することを、一度でも、俺に対して表明したことがある人間のことなど、ズタズタにしてぶっ殺してやりたい。
……………。
……………。
……………。
そう。
そう思っていることを、一度でも、表明することで、これからも、日々を、過ごすことができるだろう。
決して、僕のことを誰しもが完全には理解することはないということを、千も、承知の上で、それでも、どうにかして、他者とコミュニケーションしていきたいという、さっぱり出所がつかめない生きる希望みたいな言葉が、湧き上がってくるのである。
***
あなたたちがどんな風に思うかはさっぱり分からないですが、俺、けっこう良い人ですから。
これからも、生きていきますから。
不完全な存在。
不満なことは、沢山ある。
それは、主に、自分自身の中にあると言えるだろう。やはり、結局、自分自身が原因だったかと、思うことは多い。自分自身"だけが"でも、自分自身"も"でもなく、そうである。
やはり、それ相応の、弱さや、歪みが、自分にもあったのだなあと思う。
不完全な人だらけ。
もちろん、自分自身もそう………そもそも、誰しも不完全だろう。
それに、誰しも、少しずつ、気づいていくはずだ。
「ああ、自分とは、こんなにも、不完全な存在だったのだろうか………」と。
そう気づくことは、本当に残念なのだけども、それでも、少しずつ、自分が、そういう存在だったのかと、気づく。
受け容れるのに時間はかかるけども、少しずつ、そのことに関する、内奥の、心の動きのルーティンに、気づき始める。
そうすると、少なくとも、弱く、どうしようもない自分のままで、とにもかくにも、死ぬまで生きるための、対応策は、わかる。
こういう人間だと、気づくことで、こういう人間であるからこそ、ここを気をつけようと、思うようになる。『こういう人間』である、赦すことのできない他者、自分自身を、弾劾すればするほど、少なくとも、硬直化は進む。
硬直化したところで、世の中を見ることにおける、解像度が上がるわけではない、ということとなる。
『こういう人間』を、受け容れるようになるほど、世の深淵を見る。
孤独
恋人は、いたことがない。
ソープランドに行って、童貞を捨てたことがある。
物質的な肩書きを、注視していた愚かだった自分が過去にはいる。
これからも、その自分が、登場することもある。
色情的なことにおいても、人々は憧れるのだけども、あってもなくても良いように思う。
そんな風に悟りすましても居られないほど、欲望に苛まれることもあるけど。
色情的なことというのは、切っても切っても、そもそも自分から切ることはできない。
ナンパ師に憧れてきた。
ぼくの好きな元ナンパ師の人は、「自分は狂ってるから、同じようなことをしてはならない」と発言していた。
その人は実際に、ほとんど依存の泥沼に陥っていたようだった。
「ナンパをしたい」という欲望には、様々な要素がある。その行き詰まりをどうにかするための方法として、決して、ナンパが唯一ということではないのだろう。
行き場のない感情は、暴走する。
更に、否定された方へと突き進んでやれと、自暴自棄にもなる。
孤独なときは、色々なものが味方になる。
でも、独りのままでも、良いと思う。
孤独は、悪くない。
むしろ、孤独は、存在しては駄目なものではないと思う。
孤独とは、暖炉のように、丁寧に深めることもできる。
受け容れられるのであれば、受け容れよう。
眠れない夜、独り、迎える、早朝の日射しの、部屋に射し込んでくるときも。
独り、そのまま眠ってしまいそうなほど、保護された暖かさの喫茶店などの場所で、手淹れによる温かい飲み物を貰うときも。
もしかすると、世の中において、やらなくてはいけないことって、そんなに多くはないのではないだろうか。
コロナウイルス感染拡大によって懸念される中国への風評被害について
正直なところ、中国全体への風評被害を個人的に懸念しております。
新型コロナウイルス感染症の「感染力」はどれくらい強いのか?(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース
コロナウィルスの人から人への感染力は、この記事を見る限りインフルエンザとどっこいどっこい(ちょい下)で、昔韓国で流行ったらしいSARSより一段下くらいらしいです。
日本では、コロナウィルスよりも、インフルエンザやノロウィルス感染の方が、数は圧倒的です。
僕らにできることは、普段、冬にインフルエンザやノロウィルスの感染予防を心がけるときと同じように、マスクを付けたり、手洗いうがいをしたり、(たぶん)なるべく加熱したものを口に入れるようにすることくらいだと思います。
暖かい料理を食べることは、心の安定につながります。
心の安定は、どうやら免疫力を強化するようです。
中国国家や、中国語を話す人々を危険視することは、そもそも、感染の縮小に対してそんなに有効ではないようです。
コロナウィルスを心配しつつも、心配に押し潰されないよう、心身のバランスを大事に生活することができたら良いなあと個人的には思っております。
ゆっくりと急ごう。
もう、辛かった境遇からの、健やかな脱出となる点のようなものには、到達したような気はする。しかし、ふとしたきっかけで、消えてしまう繊細な状態のようで。
そのまま居られるよう、出来ることはというと、前へと進もうとすることではないだろう。
たぶん、少しずつ、それまで伝えようともそう出来なかったことを、伝えようとすることなのだろう。
出来なかったことって、色々とある。
何というか、熟成させていくことなのだろう。
色々とあった隙間を、更に、埋めていきたいなあと思う。
そうして、より複雑に、静かに、佇むようになる。
現実的なことを言うと、そういう風になって、やっと、仕事も安定するようにも思う。のんびりと歩くように、仕事を進める。もう当分、出来ないことを、仕事として覚えようとはしたくない。書けることだけを書こう(それこそ、自分の現時点での実力だと思おう)。
0を1にしようとするのではなく、過去、書き溜めて使おうにも使わなかった、粗削りの文章を、何かしら、依頼されたことに対して、ブラッシュアップさせて、再利用することを続けよう。
より丁寧に、生活をしよう。
そうして、余った時間を、むしろ、語学を日々の主なタスクとして、考えられたらなら…。
左はタイで買った、上の皿に香油を入れてロウソクに火をつけて香りを漂わせる器械。
右はずっと使ってなかった無印良品のお香。
案外、可能性は開かれていた。
自分の半径5メートル以内を最適化することだけ日々を費やして、部屋も、服装も、文体も、体の動かし方も、至らないけど仕事の仕方も、それなりに好きになり始めてきたし、コミュニケーションとかも少なくとも自分なりのを確立し始めたけど、そう言えばぼくは今後車を運転できる可能性もあると気づいた。
先日、タイで二人で3万円はする高級ディナーを食べて、最初のお通し的なものに、少量のワインが入っているものがあって、それを食べたら心地よく明るい気分になった。どうやら、アルコールも適度であれば楽しめそうだ。ワインは最近、アルコールを始めるのであればワインだなあとは思ってはいた。
また、タイには日本車が一杯あった。バンコクからアユタヤまでのタクシーもTOYOTAだった。街を歩いてたらHONDAの大きな販売店もあった。
実家には昔HONDAの水色のオデッセイがあって、よく家族で一緒に乗っていた。母の運転はなるべく高速に乗らない消極的なもので、父はたまに公道で100キロ出してた。
そういうのって、確かに、今はお金がないからできないけど、これまではあまりに消極的で、少ないお金でいかにそれなりにお金ではない豊かさでもって暮らせるかを考えてた気はするが、いや、意外と、これからは全然ドライブとかしてしまうかもわからない。築いてきたのは、自分の美意識であり、軸だった。
しかし、可能性はもっと広げられるものではあった。
たしかに、それまでの状態では、たとえ、物質的な可能性でもって広げて広げて、広げていったとして、頭打ちには絶対なって、それは、どこか、自分たちの足元が見えていない感じがあったからだ。
しかし、免許は、取ろう思えば取れた。
最近、新しく作った眼鏡は、店員さんの薦めで、「値段は変わらないから」と、一応、車の免許も取れるくらいの視力になるよう、度数の調整をしてくれていた。
また、今日、スーパーへ行ったら、(普段は全く、自分のためにあるものだとは少しも感じられていなかった)お酒の、ワインがあるゾーンにて、日本ワインが税抜き1,600円だとか、2,000円だとかで、何というか、いつでも買えないことはない感じだった。
その気になれば、チベット語講座も(たしか)町田で開かれてるわけだから、お金を払って、受講することができるはずだった。
どうして優しくする必要があるのだろう・・・
とても伝えたいことがあって、その伝えたいことは、その伝えたい相手にとって、物凄く、不都合なことで、
あまりにも雑に伝えると、こちらがただ反撃され、柔らかい所を壊滅させられて終わるか、しかしその相手を潰したところでこちらが責任を負い切れないほどの不幸を相手に背負わせてしまう。
ずっとその狭間で、結構、苦労して文章を書いてきた。
その繊細すぎる重みに精神を潰されて、ある時、フッと、どうして、これ以上、生きていく必要があるのだろうかと、切実に疑問に思えてしまうことがあった。
ぼくは、何度か、壊滅させられたことがある。もちろん、壊滅させられたことがある人は、世の中にたくさんいることくらい、知っているつもりだ。
しかし、確かなこととしては、ぼくは、何度か、壊滅させられたことがある。
それゆえ、『ここまで伝えると、この人のことを、過去のぼくのように、壊滅させてしまう』という感覚が、何となく、わかってきたりもする。
ぼくは、壊滅させられた過去を、とても、理不尽な過去だったと考えているから、過去のぼくと同じような人に対しては、過去ぼくが苦しんだことと、同じような苦しみを、絶対に、味わってほしくはないーーー。
という思考は、あるにはあるのだけれども、しかし、しばしば、ぼくは、それに失敗してしまう。
まだまだ、ぼくは、ゾンビである。
死んでしまっていて、そうして、過去の自分と同じような人だったり、自分よりも弱い人を見つけると、その、ゾンビになった過去の恨みを、伝染させようと、時折、我慢ならなくなってしまったりもする。
それは、絶対に、良いことではないと思う。
そうして、そんな恨みを抱いてしまう自分が、決して、悪いわけではないから、こんな風に、とにもかくにも、文章へと転嫁させている。
そうして、生きている。
***
分からない人というのは、居る。
ある場合には、この、ぼくこそが、"何にも分かっていない、無神経な人" だから、そんなに、他者のことばかりは言えない。
しかし、たまにぼくは、ある種の "何にも分かっていない人たち" から、全否定されてしまうことがあったのは、確かだった。
ぼくは、自分を救わなくては殺されてしまうから、自己言及をし続けてきた。
ぼくには、余裕があるわけでなかった。そもそも、『他者に気を配る』という感覚が、さっぱり分からなかった。
でも、そんな風に、世間から見るとコミュニケーション不全者だとされてしまう有様だと、とにもかくにも、生きていけないはずだから、ぼくは、社会から殺されてしまわないように、なるべく、他者に対して優しくしようーーーコミュニケーション不全者ではなさそうな人たちの間において、『他者に気を配っている』とされているような立ち居振る舞いをできなければならないだろうと、試行錯誤をしてきた。
しかし、どうやって他者に優しくすることができるのかが分からなかったから、まずは、哀しいモノマネから入った。挙動不審で、思ってもないような褒め言葉ばっかり連発して、明るい事をひたすらに信じようともした。
本当は、優しくない自分自身だって、百も承知だった。
しかし、優しくなれなければ死んでしまうはずだと思っていたから、それゆえに、優しくならなければならなかったから、思ってもいないようなことを、たくさん、言わなければならないはずだと、取り組んできた。
人々は、そんな、思ってもいないことばかり言うぼくのことを迷惑がって、どんどんぼくから遠ざかっていった。
***
自分を良く見せようとする人を、その人の舞台裏の感情を少しも見ないままで、否定しようとする人がいる。
そうしようとする人の気持ちは、よく分かる。つまり、社会から、取り残されてしまった人なのだろうか。
見抜いた対価は、一生、支払わないつもりだろうか。
そんなところで佇んでいないで、そういう人たちの心情を汲んだ上での、"代案" を出してくれないと困る。
世界の足を、引っ張らないでくれ。
***
こういう文章を書いてしまうのは、自分のどこかで、限界が来ているからだろうか。
こういう文章こそ、自分を良く見せようとする心の、顕れだろうか。
いつまで、こんな風に、後ろめたい想いへと、晒されなければいけないのだろうかーーー。
***
ただただ、見抜いただけで、得意気になっているような人々を、壊滅させてしまいたい。
どうすれば、この連続から、突破口を見出すことができるのだろう。
東理紗さんに関するひとりごと
東理紗さんにはいつも「今日はとっても楽しかった。明日は、もっと楽しくなるだろうな」と思って生きてて欲しい。
もし僕が神だったら、こんなに、頑張ってる人のことを、今よりも幸福にさせないわけがない。
しかし、僕はただの人である。
また、東さんとは特に知り合いというわけでもなく、要するに、完全に赤の他人である。
2019年9月20日のライブがとても印象に残っている。
新宿ReNYで行われた投げ銭アカペラライブ『東理紗~伝説から神話へ~』において、初めて、生で東さんを見た。
前から、動画では東さんを何度も見てきた。
2019年の5月頃に行われたという、高円寺の路上ライブの様子をYouTubeで何度も何度も見返した。
そのときはドスの利いた歌声が特徴の、存在感のあるパフォーマンスだった。
しかし、同年9月に新宿で行われたライブ『東理紗〜伝説から神話へ〜』では、東さんは、僕らにまた違う側面を見せてくれた。
男女構わず前へと引っ張って進んでいくような強さを魅せていた高円寺のときとは違って、むしろ、たぶん、闘っていくためにそれまでは被っていたであろう、硬い殻を、取り去っていた姿だった。
また、こんなにもか弱い女の子だったのかと間近で見ると驚いた。
ステージの上や、会場を所狭しと走り回っていた、その、はだしの足や、ホウキをギター代わりにかき鳴らして爪が割れてしまった手が、赤ちゃんみたいに小さかった。
しかし、僕を含めて、これまで、東さんと自分の辛い状況を重ね合わせて、どうにか、日々を繋いでいった人は多いだろう。
あの日、あの時、その場にいた人にしかわからないひっそりとした感動があったと思う。
新しい巣立ちの時を迎えようとしていた彼女を、誰しもが、暖かく、拍手とともに送り出して、心地よい笑顔で包んでいた。
***
東さんに強烈な同志の情を覚えている僕らは、自分の人生において「今日はとっても楽しかった。明日は、もっと楽しくなるだろうな」と、思えるような状態を、個人個人で、今、自分自身にできることから少しずつ、創造する必要があるだろう。
だってそうしないと、生き永らえていく意味がさっぱりわからないし、その取り組みはそのまま、限界状態の中で『21歳最初の爆裂カミングアウト』のようなブログ記事や、『カチ価値カチ』のような楽曲を産み出して、同じく限界の状態を心の中に宿していた僕たちを、生きる方向へと導いてくれた東さんの幸福度へと、繋がっていくだろうと思う。
たしかに、独りでぶつぶつ言ってても始まるわけではないから、自分の力で、自分だけの天国を、手作りしていかなくてはいけない。
僕たちの苦しみの代弁者たる、東さんの、重荷となってはいけない。
そう、天国は手作り。
自分ができるところから、始めよう。
創造するのは、夢なんかじゃない、ただの現実だ。
そう、手作りであるがゆえに、果てなんてないんだ。
(カチ価値カチより)
だんだん、東さんが中心となって、ある種のムーブメントが起きていくだろう。
それは、個々から少しずつ始まっていく、『復活』の物語だと言えるかもしれない。
そうして、それは、僕らがそれぞれの今、陥っている地獄から逃れようと、本当に微かなことからでも、手や足を少しでも動かしたその瞬間から、間違いなく始まっていけるはずだ。
そうしていつしか、こちらが救われてきた東さんや、他にも困っている人々が周りにいると気づいたとき、たとえささやかな何かでも、何らかの形で助けることができるように、ジッと、東さんの歌や、文章や、パフォーマンスを鑑賞しつつ、自分の力が蓄えられていくのを待っていければ………。
***
9月20日の『東理紗〜伝説から神話へ〜』にて、公演後、チェキ会で、あるファンの方が東さんに、
「生きててくれて、歌を歌ってくれてありがとうございます」
と、直接、言葉にして伝えてくださったらしい。
その言葉を受けたとき、とんでもないくらいの衝撃で、東さんは、目をまん丸くさせてしまったそうな。
そのファンの方、僕らの意見の総意を彼女へ直接伝えてくださって、本当に、本当に、ありがとうございました。
***
自分を客観的に見れて、人を、笑わせることができて、ある種、現実的だけれど、どこか、義侠心がある人たち。
東さんのファンは、そうなるのではないだろうか。
七尾旅人さんのファンに、他人に対して、とても親切な人が多いように。